記憶ゲーム
☆☆☆

少女の名前は知らない。


だけど私はアキナだと呼び続けた。


そして一ヶ月後。


目が覚めると隣で眠っていたはずの少女の姿がなくて、私は慌てて寝室から飛び出した。


あれだけ注意していたのに逃げられてしまったか。


一瞬にしてすべてを失う想像ができた。


ニュースで連日自分の顔が映し出され、世間から非道な人間だと叩かれる場面も。


蒼白になって玄関へ向かったとき、キッチンからいい香りがして立ち止まった。


それは妻が出て行ってから長らくかいだことのない、朝の味噌汁の香りだった。


カチャカチャとかすかに物音も聞こえてくる。


私はそろそろとキッチンへ続く引き戸を開いた。


するとそこにはガスを扱っている少女の姿があったのだ。


呆然として、声をかけることもできずに少女の後姿を見つめる。


その時少女が気配に気がついて振り向いた。


どこから持ってきたのか、少女は妻のエプロンまでつけて味噌汁を作っていたのだ。


そして私の顔を見た瞬間微笑んだ。


「お父さん、おはよう」


聞き間違いじゃないかと思った。
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