俺が優しいと思うなよ?

「あの、響さん。せっかくなのですが…」
と、私は体を少し乗り出したような形になって話し出したのだが。

「響さん、そろそろ」
と、成海さんが高価そうな腕時計に目をやりながら響さんを促した。
彼は自分の社長に対して「響さん」と呼んだ。響さんもそれが当たり前のように「そうか」と自然に返事をして帰り支度を始めた。

店を出て、響さんは申し訳なさそうに話しかけてきた。
「三波さん、ゆっくり話せなくてごめんね。でも君の仕事ぶりは成海から聞いて、僕も君に興味が湧いたんだ。こちらは君を即戦力として迎える準備は出来ている。ゆっくり考えてもらう時間はないけど、良い返事を待っているよ」

響さんは人当たりの良い笑顔を残して去っていく。成海さんはほんの数秒間、私の顔をじっと見た後で響さんを追って行った。

私の手の中には二人の名刺がある。

彼らの後ろ姿を見つめる私は、自分の奥底からドロドロとした痛い感情が記憶と共に少しずつ滲み出てくる。
あの苦痛を味わって、そしてストレスに狂って…。

『君の仕事ぶりは成海から聞いて…』

あの時私の腕を掴んで見据えていた成海さんを思い出す。
──あの人は私の何を知ってるっていうの?

現実から逃げ出したい、消えてしまいたいと思った私の気持ちなんか誰がわかってくれるというのよ?
「勝手なことばかり言わないでよ…」

手に力が入り、彼らの名刺がグシャリと音を立てて潰されていく。


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