俺が優しいと思うなよ?
当時付き合っていた二条詩織から、
「留学するからピアノに専念するために別れたい」
と連絡があったのは、それからすぐのことだった。
幼い頃からお互いを知りすぎる程の気心の知れた仲、将来は結婚も視野に入れるくらいに愛していた相手だっただけに、彼女からの別れの申し出はショックが大きかった。「一度考え直して欲しい」と話してみたものの、詩織の意思は固く俺は諦めるしかなかった。
心に受けた傷は自分が思ったより深く、きっと心に穴が空いた抜け殻のような生活を長く送るんだと思った。
何をやっても上の空を過ごす時間の中で、ある夜に夢を見た。
それは、学生建築デザインコンクールのあの会場で、俺が「優秀賞」の作品をずっと見ている夢だった。
確かにあの日以来、スマホの中の「優秀賞」の建築パースを毎日のように見ていたが、夢に見るほど執着しているとは思っていなかった。
あのデザインは俺を慰め癒すためだったのか、それとも、「早くこれ以上のデザインを描いてみろ」と挑発するためだったのか。
どちらにせよ短期間で詩織に対しての気持ちの整理が出来、「三波聖を越えるデザインを描く」という目標を立てれたことに関しては、あの「優秀賞」に感謝すべきかもしれない。
二条詩織がヨーロッパへ旅立ち、俺は大学三年になった。そして普段あまり顔を合わせない親父が俺を呼んで言った。
「大政建設に入社して、経営を学べ」
大学の四年間を好きにさせたんだから、俺の言うことを聞けと言わんばりに就職のことに口を出してきた。
俺の兄貴は優しい性格で親父の言うとおりに経営学部のある大学に通い、親父の跡を継ぐというレールに従って生きている。しかし俺はそんな勝手な親父に反発した。
「俺は経営者になるつもりはない」
そう言いきって、響さんに出会うまで就職活動を続けた。
当時の俺の脳内には「三波聖を越える建築士になる」しかなかった。