俺が優しいと思うなよ?

男性に掴まれ事務所に戻ってきた私に、事務所内の人たちは当然何事かと顔を上げて注目する。

「あの…」

野上係長がいない今、私は奥の席にいる花井部長へ目を向けた。しかし隣に立つ獣を、どう説明すればいいのか思いつかずに戸惑う。


「失礼します。私は成海と申します。三波聖さんの上司の方はいらっしゃいますか」

と、私の頭上から低音ボイスが聞こえた。
事務所内が一瞬ザワっと音を立てると、それに気づいた花井部長は眼鏡の赤いフレームの真ん中をクイッと指で上げてこちらに向かってきた。
花井部長の視線が私に向く。「何かやらかしたのか」とでも言っているように。そして成海さんの前で立ち止まると、彼は眼鏡の奥の瞳を細めた。

「私が三波の上司の花井ですが、何か不都合がございましたでしょうか?三波がご迷惑をおかけしましたら、こちらで対応させていただきますが…」
と、成海さんの様子を伺った。

成海さんは自分より身長の低い花井部長を見下ろす形になる。
「そうですか」
成海さんはそう言って、コートの懐から取り出した何かを花井部長に手渡した。

何の躊躇いもなく「それ」を受け取った花井部長。
「ええっ?」
手にして初めて「それ」を見て、改めて目を丸くして驚きの声を上げる。
「えっ?これは…?」
と、裏返った声で「それ」と成海さん、そして私を交互に見比べた。

私も「それ」に驚きはしたものの、
「ちょっと!」
と、成海さんに抵抗するように見上げた。

花井部長の手の中にあるのは、「退職願」だった。

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