俺が優しいと思うなよ?

「……」

ポカンと口を開けて呆然としている、約数秒間。

知る人ぞ知る建築家様から「建築デザイナーが天職だ」なんて言われれば、普通なら嬉しくて舞い上がるだろう。

普通なら。

しかし、この場でそんなことを言われてもこれっぽっちも嬉しくない。
それに成海柊吾といえど、自称「私のオタク?」だ。「私のオタク?」に言われても…ってやつだ。

とにかく、退職願を撤収しなければ。

「退職するかしないかは私が決めます。成海さんは口出ししないでください」
と言って、私はもう片方の手で花井部長の手にある退職願へ手を伸ばした。
それに気づいた成海さんが握っている私の手を更に引っ張った。
「あっ」
もう少しで退職願の封筒に手が届く、と伸ばす手に力が入る。


その時。
「ちょっと取り込み中悪いんだけど」
と、横から声がした。

私たちが視線を向けると、そこにトートバッグを肩にかけた真木さんが立っていた。明るい茶髪の長い巻き髪を後ろで束ねて黒いダウンを羽織り、黒いデニム姿のスリムな女性だ。
彼女はその猫目の瞳で私をじっと見つめる。

「天職がどうのって言っていたけど、このイケメンさんが退職させてまであなたを必要としてるなら、あなたも女ならぶつかっていく度胸があってもいいんじゃない?」

人から必要とされるのは幸せな事だと思うけどね、と言い残してロッカールームへと去っていった。

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