俺が優しいと思うなよ?
この日の夕方から、成海さんのスマホの着信が頻繁に鳴っていた。
「……」
成海さんは流石に気が散るのかマナーモードに切り替えるが、デスクの上で十分と待たずに震えるバイブ音に顔を歪めた。
「部長。なにかあったんスか?」
チームのみんなが気にしていることを、町田さんがズバリと聞いてくれた。
成海さんはスマホに目を落としながら「大丈夫だ」と言い、スマホを片手に席を立った。
成海さんが事務所から出たことを確認すると、町田さんは「女っスね」と決定づける。倉岸さんは「そうかしら?」と不思議そうな顔をする。
「だってあの部長のことだから、自分の彼女の教育くらいちゃんとすると思うのよねぇ……。それに、想い人がいるのに恋人を作るかしら?」
と、成海さんの彼女説を否定した。
パソコンのキーボードを打つ仁科係長はみんなの話を聞いているだけで、口を出す気はないようだ。
桜井さんは図面を持って立ち上がった。彼は成海さんと同じくらい高身長で、体育会系の肩幅の広い体型をしている。
「部長はどのフロアにも人気がありますからね。猛アプローチをする女性がいれば、部長もその気になるかもしれませんね」
と言って、動いたその視線がバチリと重なった。
──え?私?猛アプローチなんてしてないわよ。
私は慌ててプルプルと首を小さく横に振った。
桜井さんは少し目尻の下がった瞳をスッと細める。
「あまりに鈍い人でも、違う意味で気になるかもしれないですね」
そう言い残して事務所を出ていった。
そういえば、こうやって夜景を眺めたのは何日ぶりだろうか。
古いサッシ窓の向こうに見えるのは、夜でも眠らない都心のビル群。社会人になったばかりの頃は私が大人になる魔法のように思っていた。
でも、現実はそうじゃなかった。
「社会人なんだから」と括られて上司や先輩社員の言いなりで仕事仕事に追われる毎日だった。可愛く髪を結い上げ綺麗な服を選んで出勤するなんて夢は、本当に夢で終わってしまった。
何も変化のなかった十年。
都心のビル群が、そんな私を笑っているようだった。