アンチテーゼを振りかざせ
◻︎
顔を貸せ、と人生で言われたのは確実に初めてだ。
何故かを問う暇も無く、彼女は私達が鉢合わせた駅前から直ぐのところにあるカフェを指さして、「さ、行くよ。」と有無を言わせなかった。
「それで。
私はまだちゃんと挨拶をされて無いんだけど?」
夜のこの時間でもそれなりに混んでいる店内は、パソコンと睨めっこしているビジネスマンも多い。
穏やかな音楽をBGMに、カウンター席に座った私がホットコーヒーを一口飲んだところで、隣の彼女はそう笑顔で促す。
「……保城 紬と申します。」
「うん、よろしくね。
……まあ、紬さんって呼ぶから特にこのくだりは要らんかったわ。」
「……」
じゃあ何故聞いてきたのだと文句を言ってやろうかと隣を見やると、カフェラテの紙製のカップを持つ彼女は、やはり意外にも豪快に笑ったまま言葉を続ける。
「紬さんは、梓雪のこと、どこまで知ってるの?」
そして素朴な疑問として伝えられたそれに、胸が痛むのは気のせいでは無い。
___だって私は、
「……何も知りません。」
視線を再びテーブルに置かれたコーヒーに戻しつつそう呟くと、
「んなわけ無いでしょ?はよ言ってみなさいよ。」
「……。」
あっけらかんとした声で全くめげない八恵さんにどこか、拍子抜けしてしまう。
というか独自のペースで突っ込んでくるから、こちらがいつの間にか逃げ場を失う。
ほら、そう言って頬杖をついて私を促す彼女に観念して口を開いた。
「…コンビニと居酒屋でアルバイトを掛け持ちしているフリーター。
私と同い年で、炭酸飲料が好き。
……私が持ってる情報は、
本当にこのくらいしかありません。」
自分で確かめると余計惨めになって、憂いを溜息に変えて伝えると、彼女は驚いたような顔をしていた。
「朝地さん?」
「………炭酸飲料かあ。」
そしてそのまま、確かめるように言葉を繰り返した彼女は、少し泣きそうな表情に変わった。