アンチテーゼを振りかざせ



朝地さんは今日、あの男が働いているこのコンビニまで荷物を持ってきたらしいけど。

もうこの時間は、バイトを既に終えてしまっていたようだ。


最寄駅が一緒だというだけで、家だって勿論知らないし、連絡先も知らない。


私とあの男が、居酒屋でも夜のコンビニでも出逢えていたのは、偶然が殆どなのだとこんな時になってやっと実感する。





……嘘だ、ちょっとの帳尻合わせも、本当はある。


帰宅がてらお店を遠目に覗いて、あのよく目立つ髪の男が居るのを確認して。

___"今日は、元々買い出し行く予定だったし。"

誰に告げるでも無い、そんな言い訳を心で唱えながら、干物女になって、夜な夜な繰り出した時もある。

その理由は、もう最初からきっと1つしか無かった。




"梓雪、呼び出す?話したいことあるでしょ?"

カフェでの別れ際、朝地さんはそう言ってくれた。
…若干、私の動向を楽しんでる気もしたけど。

「いえ。何となく、自分の足で会いに行くべきな気がします。」

「…そう。」

私の答えに、ショートヘアのよく似合う華奢な彼女は、ベージュのロングコートの裾を少し夜風にはためかせて、微笑んでいた。



今週1週間、とりあえず毎日コンビニを欠かさずちゃんと覗いてみようと決めたところで、我ながらもう必死だと自覚はしている。

苦笑いを浮かべても、あの軽い調子で「紬」と呼んでくる男を思い出す。



痛いだけでは簡単には言い表せない、何故だかまるごと抱きしめたくなるような胸の締め付けを、私は今まで知らなかった。


次に出逢えた時には、もう一度ちゃんと、あの男の言葉を聞きたいけど。



でもその前に、
私はきちんと話をするべき人達も居るから。



…とりあえず、明日もまずは仕事だ。

1つ、深呼吸をした私は、よし、と1人で自分を無理やりに鼓舞してマンションへと漸く足の向きを変えた。

< 113 / 203 >

この作品をシェア

pagetop