アンチテーゼを振りかざせ




「いなくなっちゃうかと、思った…、」

「なんで?」

「居酒屋の店員さんが、引っ越すって言ってたから。」

「ああ。これからの勤務先とか、詳しいことはバイト先の人達には言ってなかったから。

適当な理由言った。
みんなに全部を曝け出す必要無いし。」


飄々と語られる事実に、肩透かしを喰らいつつホッと息を吐いたのは恐らく伝わってしまった。


「そっか。
それで焦って来てくれたんだ?得したな。」

「……やっぱり梓雪は面倒。」


睨むように見上げた男は、ただひたすらに三白眼を優しく細めて笑うから、それだけで許しそうになる。


「うん。面倒な俺は、嫌い?」

そういう質問もどうかと思う。

そう非難しようとしたのに。



頬に再び添えられた手に気づいた時には、
視界があっという間にゆらり、
夜とはまた違う暗い影で覆われて。


「、」

言葉を紡ごうとした唇は、簡単に塞がれてしまった。


そうして数秒後に離れた熱の正体は、
呆気にとられる私を見て愉快に笑う。


「紬は本当に隙しか無い。」と揶揄いをたっぷり含みつつ抱きしめられてしまうと、何も抵抗は出来ない。


「ドキドキしてる。」

「……してない。さっき走ったからだし。」

勝手に私の心音を測ってそう言う男に、必死に否定を述べる。


「本当、素直じゃねー」

それさえもクスクスと笑って
受け止めてくる男の背中に、腕を回した。





◇◆

アンチテーゼ【Antithese】
ある理論を否定するための、反対の主張である

※ただし《完全否定の主張》ではありません

「ある程度、その理論を認めつつも否定するもの」
であることを、お忘れなく。

◆◇




These05.

《ドキドキする理由は、やはり恋によるものです。》

「……次は、分からない。」
「ん?」

「もっかい、したら、
ドキドキするのは違う理由かもしれない。」
「…ツンデレなの?」

嬉しそうに笑う梓雪に、自分からそっとキスをした。


(勿論、好きな人とのキスはドキドキしますが)

一般的に動悸・息切れの原因は
他にも存在するので。

もう一度、確かめてみた方が良いかもしれません。


fin.
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