アンチテーゼを振りかざせ
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「あれ?保城ちゃん、今日残業?」
いつも通りパソコンとの睨めっこを続けていると柔らかい声に呼ばれて、ふと顔を上げる。
雰囲気そのものもなんだか包容力の塊のようなほむさんは、笑い皺たっぷりの表情で近づいて、よっこいしょと呟きつつ、私の隣の椅子に腰掛けた。
「お疲れ様です。
うーん、残業するべきかちょっと迷い中です。」
「なんか立て込んでたっけ?」
「いえ、オフィス運営委員会のプレゼン資料作成、もうちょっと進めようかなあと思って…」
「その会議、まだ先でしょ?
あんまり根詰めると、香月が怒るよ。」
「……確かに。」
「それに、今日は折角の金曜なんだしさ。」
そう。
今日は、誰もが待ち望む"金曜日"だ。
それが逆に自分に残業を促そうとする要因になるとは、今まで考えたことも無かった。
「…そうですね。」
キーボードに手を置いたまま、苦く笑って頷くとほむさんは、暫しの沈黙の後、あ!と声をあげた。
「…保城ちゃん、お饅頭食べた?」
「あ、いえ。まだ食べられて無いですね。」
「えー!?
和菓子は思ったより保たないんだから早く食べないと。」
「…私1人でいただくのは多いですよ、やっぱり。」
だって、まだ箱さえ開いていない。
やはり会社に持って来て皆んなに配るべきだろうかと自分の考えを告げようとすると、
「うん。
あれ、1人でって意味で渡したんじゃないよ。」
「…え?」
「この間、リーフレット第2弾の内容も素晴らしくて、前に文句言ってきた筈の営業部が、ちょっと気まずそうに1人個室の使い方を保城ちゃんに聞いてきたでしょ。」
「…あ、はい。ありましたね。」
無事にリーフレットが発刊されて、配布されて。
反響に内心ドキドキしていたけど、前回厳しいことを告げて来た営業部の人達が詳しく聞きたいと訪ねてきた。
興味を持ってくれたのだとホッとしたし、間違いじゃなかったかもしれないと思えた瞬間だった。
「あの光景を目撃して、凄い胸がスッとしたんだよ。
だからあの饅頭は、そのお礼みたいなとこもある。」
「……え、初耳ですけど。」
そんな理由で手渡されていたとは
全くこちらは知らない。
驚いて目をしばたく私に、
ほむさんは笑みを濃く乗せて、
「…保城ちゃんにとっても
割と今季最大のスカッとジャパンじゃない?」
「なんですかそれ。」
よく分からない問いかけに思わず笑うと、
ほむさんは「だからさ」と続ける。
「あれは保城ちゃんが頑張って得た結果だから。
そういうスカッと話とか、
まあ別になんだって良いけど。
とにかく話したいなあって保城ちゃんが思える人を、"貰いすぎたんです"って、誘うきっかけにするための、お饅頭なんだよ?」
「……、」
この人は、どこまでいろんなことを分かって言ってるんだろう。
もしかしたら、いつの間にか完全に私の心を占領してくれている男に、本音を言い出せずこうしてオフィスに残ろうとしている私のことも、お見通しなのだろうか。
分からない。
分からないけど、1つ分かることは、温かさに包まれて優しく視界がぼやける感覚があることだけだ。
「…ほむさん。」
「はいはい。」
「どうしたら、ほむさんみたいになれますか?」
いつも優しく、誰かを包めてしまう人に。
「えー?総務20年以上やれば、かな。」
「……小娘が生意気言いました。精進します。」
パソコンを閉じながらそう言うと、彼は楽しそうに微笑んで、広げていたファイルの片付けを手伝ってくれた。