アンチテーゼを振りかざせ
『え、今から会食?』
『横浜支社の人達に誘われて、うちの課長が勝手に保城も行かせますって、伝えてたらしくて、…あいつ殴りたい』
『紬ちゃん、治安悪いな』
金曜日の仕事を終えて、いそいそと帰る支度を進めていると課長がそこで思い出したように、「会食楽しんで!」と伝えてきた。思うだけで拳を振りかざさなかった自分を褒めたい。
支社の皆さんがもうお店まで予約して待ってくれている状況を、断る勇気も私には無い。
殆ど泣きそうな声で電話をしているのに、受話器越しの梓雪は私の暴言に笑っている。
『約束してたのに、ごめん……、』
『なんで謝んの。それより帰り、駅着いたら連絡して。紬さんのためにサキイカとビール用意して待ってるので、それでなんとか怒りは収めてくれます?』
くすくすと笑い声が鼓膜を揺らす。
一言も、文句を言わない。それどころか飄々と私を宥めてくる。
____なんでそんな、優しいの?
『…サキイカ、増量パックの方でよろしく頼みたい』
『え、そんなんあんの』
「りょーかい」と電話を切る最後まで、梓雪は1秒たりとも怒らなかった。
ちひろさんのオフィスを見学して、オープンオフィスのエリアで自分の仕事も終えた頃、ちひろさんが飲みに誘ってくれた。
お酒が進んで、「久箕君元気ですか?」と笑うちひろさんに、先週の私のドタキャンの話をした。この出来事は前科一犯に値すると首を垂れると、彼女は懸命に励ましつつ、塩辛の小鉢を差し出してくれる。どういう労い方なのだろう、美味しい。
「…だから次は、私がお詫びを兼ねておもてなし、しようと思って」
「約束してるんですか?」
「今週の土曜、何処か行こうって話になってるので頑張ります」
失敗はもう出来ない。そういう気持ちで硬い声で言葉を紡ぐと、お酒で顔の赤いちひろさんが微笑む。
「紬さん可愛いなあ」
「またそういう…ちひろさんは評価が甘いです」
「今日の服装も満点です。可愛いワンピースに足元のスニーカーが最高。しかもそれ、久箕君が選んだやつだと聞いて更に悶えましたね」
「……」
うんうん頷いて見解を示す彼女に上手い反論が浮かばず、再びハイボールを口にした。炭酸がしゅわしゅわと勢いよく弾ける感覚と共に喉に流しこんだ。