アンチテーゼを振りかざせ
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「あ、いたいた。保城ちゃん」
「……ほむさん?」
無事に展示会が終了した。
此処まで担当していた同僚が大量にメールで送ってくれた資料を当日に読み漁って、付け焼き刃の知識では戸惑うこともあったけど、なんとか終わってくれて安堵している。展示会場の貸し出し時間も限られているので、休む事なくみんなで撤去作業に追われていると、後ろからほむさんに声をかけられた。
「休みの日に、大変だったね」
「…ほむさんも。お疲れ様でした」
「ほんと、今日奥さんとランチ行く予定だったのに延期になったよ」
「……」
やれやれと溜息を漏らすほむさんの後ろでは、右往左往する課長の姿が映る。今までなら部下に押し付けるだけだったから、自分も休日出勤しているのは、幾分マシなのかもしれない。
「保城ちゃん?」
「…ほむさん、奥さんと喧嘩に、なりませんでしたか?」
「ええ?」
脈略の無い問いかけに、ほむさんが目をまんまるにしてこちらを見ている。失礼な発言だったかもしれないと慌てて謝罪しようとすると、いつものように微笑んだ彼の言葉が続く。
「…なってないよ。多少むくれてはいたけど、お弁当まで用意してくれたよ」
「そこも可愛い」と補足するほむさんは、とても愛妻家だ。良かったと安堵しながら「優しいですね」と私が感想を漏らすと、彼は笑い皺を増やした。
「…保城ちゃんなら、どう?」
「え?」
「例えば仕事で予定をドタキャンされたら怒る?」
「……私は。私は、全然心が広くないから、怒ってしまうかもしれません。優しく笑ってあげられるか、自信無いです」
ほむさんの奥さんや、梓雪みたいに、寛大で居られるか分からない。自分ではそんな最低な想像しか出来ないから、より一層、あの男の優しい反応に無理をさせているのではと不安になってしまう。
「…保城ちゃんは、優しいね」
「…ほ、ほむさん、私の話聞いてましたか?」
私は今しがた、性格の悪さを露呈させたと思うのだけど。拍子抜けしてへなへなの声で確認しても、彼は眩しい笑顔を崩さない。
「"自分だったら"って立ち返って、相手の気持ちを汲もうと想像するのは、思いやりでしか無いと思うけどなあ」
「……」
「でも保城ちゃんの考えは、あくまで想像だから。彼がどう思ってるかは、やっぱり聞かないと分からないよ」
ほむさんの声は、私の心をいつも撫でるように響く。抱えている黒い感情を勝手に吹き飛ばしてくれてしまう彼に、私はどれだけ今まで救われてきたか分からない。胸が詰まって、下手な笑顔を浮かべた私にほむさんがまた、にこやかに曲線を描く唇を開く。