庵歩の優しい世界
すぐ近くで声がした。
「おい、庵歩体調どう? 色々買ってきたゼリーとか必要そうなもの色々買ってきた」
珠手が帰ってきたらしい。危ない危ない、ミロの川は幻想だったようだ、うっかり渡ってしまうところだった。
ああ、瞼が鉛のように重くて開かない。
「ゼリーなら食えそうか?」
あ、いいなゼリー。
何味があるのかなあ食べようかな、と返事しかけたまさにその時、別の角度から声がした。
「庵歩さん……」
ん、誰だ?
珠手だけじゃないのか?
「なんでこういう時に頼ってくれないんですか。いま庵歩さんの一番近くにいるのは俺だと思ってたのに、もう、水臭いですよ」
声の主はそう言いながら冷えピタを変えてくれる。この頼りない喋り方はぜったい幸助だ。
「いや、庵歩と一番親しいのは俺だろ。学校も一緒だし、よく遊ぶし」
冷蔵庫に買ってきたものをしまっていると思われる珠手。
目を開けなくとも家の音というのは大体わかる。
そしてなんとなくこの二人の中が冷え切っているということもわかる。珠手の言い方にトゲがあったし、珍しく幸助もつっけんどんな言い方をした。
「ふーん、でも珠手くんたち今は春休みでしょ? 会えないんじゃないんですか」
まるで子供の会話みたいだ。
「あってもなくても関係ないし。そっちだってただの隣人だろ」
「あ、そうだ。庵歩さん起きたらミロ飲むかもしれないですね。用意しましょうか」
「そこはスルーかよ。つかなんでミロなんだよ。風邪のときはアクエリって決まってるだろ」
「え! もしかして知らないんですか⁉︎
庵歩さんはどんな時でもミロを飲むんですよ。雨の日も、風の日も、病める時も幸福な時も、鯖の味噌煮のを食べていても、ぜったいにミロ一択です」
「なんだよそれ」
「ほんとですよ。いつも庵歩さん飲んでるでしょ?」
「………え、いや。……そうなの? 庵歩」
珠手の視線が私に向いた気がして掠れる声で「うん」と答えた。