転生幼女はもふもふたちに愛されて最強でしゅ!
目覚めたオオガミ


ぴちょん……。
(冷たい)
 ぴちょん……。
(さむい)
 ぴちょん……。
「冷たっ」
 リファは頬に冷たい雫を受けて、がばっと起き上がった。
 見回すと、冷たい石畳に石壁の、狭い狭い正方形の部屋の中だった。
 部屋の端に、汚れた布が何枚も重ねられており、リファはそこに放り出されていた。気持ちばかりのガウンが体の上に投げ出されていたので、慌ててそれを羽織る。寒すぎる。
 吐く息が白い。リファはがちがちと震える手をこすり合わせながら、もう一度周囲を見回した。
 高い位置に、かろうじて外が見えるだろう程度の格子付きの小さな窓がある。残念なことにガラスがはめられていない。外からの冷たい外気が入り放題である。
 部屋の出入り口は鉄で補強してある扉で、スライド式の小さな窓がついていた。まるで中の住人を観察するためのもののようで、横に引くと覗き穴があらわれるものだ。
(なにあれ、まるで囚人みたい……)
 異様な存在感のある固い扉は、外からの侵入を防ぐためというより、中からの逃亡を防ぐためのようである。
「え?」
 自分で自分の推測に、声を出して驚いた。
(いや、待って、まさか)
 この部屋が牢屋だなんて、なぜ――。
 しかし見れば見るほど、ここは牢屋だ。
「クロマユ?」
 心細くなって、恐る恐る呼んでもクロマユは現れない。
 部屋の隅を、ちろちろとハツカネズミが走っていった。
 先ほどまで、温かい部屋の暖かいベッドの上で、温かい思いを抱いていたはずなのに、これはいったいどういうことだろう。
(え、待って。監禁?)
 残っている記憶をたどると、恐ろしい結論にいき着いた。
 見ると、自分にかぶせられた麻袋が床に転がっている。目の粗い麻にこすれたのか、頬がひりひりした。
 ここがどこなのかもわからない。アルフレートなのか、それとも別の場所なのか。
「目が覚めたか」
 自分の肩がおもしろいくらいに跳ねた。
 見ると、扉の覗き穴から充血した眼がこちらを見ていた。怖すぎるでしょ。
「あなたは誰」
 リファは硬い声で尋ねた。顔は見えないが、先ほど聞こえた声は男のものだった。
「……」
 男は答えない。
「ここはどこ」
 リファは質問を変えた。
 男はやはり答えない。
「お願いしましゅ、ここがどこかだけでも知りたいの」
 リファはこのとき、人生で最大の力を込めて〝きゅるるん〟をした。
 男はしばらく口を閉じていたが、覗き窓の向こうから消えることはない。
「……ここは、オオガミへのいけにえを一時的に保管していた牢だ」
 はい?

* * *

 リファは、冷たい石畳の部屋の真ん中で立ち尽くしていた。
 床に座って休みたいが、お尻が凍りつきそうなほど冷たく、ならば重ねた布は、床に座るより衛生的に悪そうである。
『――お、オオガミ様は人を食べないわ』
 リファは恐ろしい思いをこらえて、それだけは言い返した。
『今はな。数百年前はいけにえを与えてオオガミを鎮めていたらしいが』
 男は思ったよりもおしゃべりだった。リファが呆(ぼう)然(ぜん)としていると、それがおかしかったのか聞いてもいないのに話してくれる。
『百年前の大魔法ののち眠りから覚めないのは、疲れているのでもなんでもなく、いけにえを与えなくなったために空腹で力を蓄えられないからだという』
 なんだかそれらしいことをもっともらしく言いだした。
 リファは黙り込んだ。ここで反論するのは簡単だが、したところでわかり合えそうにない。
『ここの連中の幸せは、人(ひと)身(み)御(ご)供(くう)の犠牲の上に成り立ってんだよ』
 その言葉に、リファの脳内を様々な人の顔が巡る――アルバ、双子のトーマとソーマ、アンガッサにアイとイフ、ビケや、街の人々の――彼らがもしその事実を知れば、きっととても傷つくだろう。
 黙りこくったリファに、男は興味をなくしたようだった。
『とにかく、数百年ぶりのいけにえはお前だ』
 そう吐き捨てて、どこかへ行ってしまったようである。
(クロマユは、人に害を加えるようなものには見えない。私に守る力をくれたのに)
 でも、もしかしたらそういう歴史があってもおかしくないのではないか、とリファは考えた。
(私が前回亡くなったとき、神殿のような場所でいけにえとして死んだけど、もし、もしそのとき私がささげられたのがオオガミ様だったら?)
 人々の思想などは日々変化していく。オオガミを祀る宗教の者たちが、様々な形態をとって存在してきたとしてもおかしなことではない。
 少なくとも、リファの時代ではそうだった可能性があるのだ。
(でも、それは全部、〝かもしれない〟のお話だ。とにかく今は、ここから逃げないと)
 リファを捕えた男たちが誰の差し金で動いているのか知らないが、アルバやジニアスが知らないところでいけにえとして死んでました、となるのはあまりにも残酷である。リファにもふたりにも。
 リファは布の重なりの上に、土足で乗り上がった。眠る前だったから、ルームシューズを履いていたのである。もしこれで裸足だったら、リファのやる気は半分くらいくじけていた。
 壁の上のほうにある窓にどうにか届かないかと見上げたが、難しそうである。
 悪あがきで、布のミルフィーユの上でジャンプしてみたが、やはり届く気配がない。
「ん?」
 ジャンプして着地した瞬間、足裏に違和感を感じた。
 布とは違うなにかの感触――リファは扉を振り返って誰もいないことを確認すると、布を剥がしていった。いったいいつからこんなミルフィーユになっていたのか、カビくさくて湿気でべたついている。
 何枚か剥がしていったとき、ひとつの小さな小さな紙の束が見つかった。それは薄汚れた布と同化して見つけにくく、わざとこの場所に隠されたのだろうと想像できる。
「日記……?」
 ――それは、とても古い日記帳だった。
【今日こそオオガミ様に捧げられる運命なのかもしれない――】
【不思議な黒いボールが現れて、私たちを全員逃がすと言っている。オオガミ様は本当はこんなこと望んでないって】
【今までのいけにえもみんな逃がして外の世界で元気に生きているって】
【本当ならそれは希望だわ――】
 それはかつていけにえとして連れてこられた娘の手記だった。
 それを読みながら、リファは衝撃を受ける――そして、オオガミは人を食う神様ではないと確信した。人々の情報操作や誤解によってそのイメージが定着してしまい、その力を得ようとするあまり、人間たちが先走っていけにえを捧げてしまったのだと。
 この日記帳を見せれば、彼らも考えなおすのではないかと思ったが、そんな淡い期待を抱いて、こんな日記帳など信じてもらえなければ恐ろしい結末が待っている。
(もっと、もっと確実にここから出る方法を考えないと)
 リファが焦っていると、はるか遠くのほうから遠吠えが聞こえてきた。
(ハンスたちだ……!)
 胸が震える。
 体の中心が、ぽかぽかと温かくなる。
 助かったわけでもないのに、今ハンスたちの遠吠えを聞けたことで、どれだけの勇気を与えてもらったか――リファは涙の浮かんだ目をこすり、手のひらで輪っかを作ってその遠吠えに応えた。
「アオーンッ」
 牢の扉の向こうから、「頭がいかれたか」と声が聞こえる。先ほどの男はすぐそこで監視しているらしい。
「アオーンッ」
 男にばーかばーかと言ってやれない代わりに、リファは心の底から大きな声を出した。それに、ハンスたちも答えてくれる。その遠吠えの応酬の、どれだけ心強いことか。
(大丈夫、私はひとりじゃない)
 リファがくじけそうになった心を立てなおしたところで、牢の端から「ちゅう」とハツカネズミが顔を出した。
「……」
 リファはそのハツカネズミをじっと見る。
『こんばんは』
 ハツカネズミがしゃべった。茶色くて小さくて、つぶらな瞳をしている。
「こんばんは」
 リファが返すと、ハツカネズミはびっくりして小さな体でぴょーんと飛んだ。ネズミって身軽である。
『わたしのこえがわかるの?』
 目を真ん丸にして驚いているさまがたまらなくかわいい。
「うん、私リファっていうの」
『わたしはミミ。ここにひとがきたのは、はじめて』
「今ね、捕まってるの」
『あなたとってもいいにおいがする。ちょっとだけなでてもらってもいい?』
 リファはごくりと息をのんだ。ネズミたちは細菌を保持していることがあるので、健康を考えてあまり触らないようにしてきたのだが――そんなことも言ってられない。今この場で 自由に動けるのは、このミミだけである。
「いいよ」
 リファが言うと、ミミは恐る恐る近づいてきた。その様子を見て、リファはハッとする。
(そうだよな。単純に、ミミのほうが怖いよな。体の大きさだって全然違うし、普段からネズミは人間の敵みたいな扱いされてるんだから)
『きゅうにたたいたりしない?』
「しないよ。大丈夫」
 少し舌足らずなミミの話し方に親近感を覚えながら、リファはミミが安心できるように、笑顔を見せた。その笑顔を見て決意してくれたのか、ミミは。
 リファに差し出された小さな小さな頭を、リファは人さし指でそっとなでた。少し固めの、つやつやした毛を、流れにそってなでていく。
『うわあ、きもちいい』
 ミミは感動したように言う。小さな手が、気持ちよさを我慢するようにぎゅっと握られている。かわいすぎる。
『にんげんって、みんなこわいのかとおもってた。りふぁはちがうのね』
 たしかにミミは、人間からしたら駆除対象になってしまうので怖い気持ちのほうが強いのだろう。それを我慢してリファに頭をなでさせてくれた彼女の勇気はすごい。
 リファは意を決して、ミミに言った。
「ミミ、お願いがあるの」
『なあに?』
 細いひげがピクピクと動いている。
「私、ここから出たいんだ。もしミミがいいなら、体を貸してくれないかな」
『いいよ』
「だよね、やっぱりだめだよね……え!?」
『りふぁはやさしいにんげんみたいだから、いいよ』
 協力してくれるのはうれしいが、ミミがあまりにも純粋で信じやすいので、リファは心配になってしまった。
「ミミ、今日は私がお願いしちゃったけど、次からはそんな簡単に人を信用したらだめだからね。ネズミの中にだって意地悪な人いるでしょう? 人間もそうなんだ。意地悪な人も優しい人もいると思う」
 リファが言うと、ミミはふふふっと笑った。笑い方が女の子らしくて大変かわいい。
『りふぁだからだいじょうぶだよ』
 今まで押しの強い動物ばかりを相手にしてきたので、控え目でかわいらしい動物はとても新鮮だ。
「ありがとう。でもごめん、ちゃんとできるかわからないんだけど」
 ――以前、夢で見た動物の目線になって、アルバの部屋へと訪れたことがあった。リファはそのことがずっと気になっていたのだ。もしかして夢ではなくて、リファが動物に乗り移っていたのではないかと。動物の〝目〟を借りているのか、〝体〟に入り込んでいるのかわからないが、今この謎の力を試すときである。
『りふぁ、がんばって』
 ミミが小さなおててをぎゅっと握って応援してくれた。
「あ、私の友達がわかるように、リボンを巻いてもいい?」
 ミミはリファに言われた通り、おとなしくリボンを巻かせてくれた。
 赤くて細いリボンは、小柄なミミの邪魔にもならなそうである。
「苦しくない?」
『だいじょうぶ。かわいい?』
 ミミがきゅるんとした目でリファを見上げてきた。首には愛らしいリボン。期待するように鼻がピクピクと動いて、それに伴ってかわいいおひげが揺れている。
「めちゃくちゃかわいいよ」
 リファは大真面目に、声を大にして答えた。
「手のひらに乗ってくれる?」
 ミミは素直にリファの両手に乗ってきてくれた。軽い。こんなに軽くて、か弱くて、本当に牢の外へと出れるだろうか――突如湧いた不安を吹っきるように、リファはミミの瞳をじっと見つめた。
(この子の体を貸して)
 誰に言うでもなく、心の中で念じてみた。
 ひとりと一匹の呼吸だけが牢に響いていた。
 やがてひとりと一匹の心臓の音がピタッと重なると、リファの視界が突然ガラリとかわった。
『うわっ』
 ぐらっとリファの手のひらがバランスを崩す。
 リファの目の前で、リファがばたんと倒れ込んだ。気絶しているようである。
『――成功した』
 今のリファは、ハツカネズミのミミである。
(急ごう。アルバ……は悲鳴を上げるだけで役に立たなそうだから、ジニアスのところに)
 この牢がどこにあるのかわからないが、ミミの小さい体で移動するには城は広すぎる。とにかく、効率よくジニアスの部屋へと向かわなければ。
 リファは壁をとととっと上ると、壁の窓から外へと出た。木々が生い茂っている。ということは、ここは城の中である。
 ミミの小さな体は、とても優秀だった。手足の筋肉も、体の軽さも。動物とはかくも素晴らしいものだろうか。
 リファは足音も立てず床や壁、ときには棚によじ登って、ジニアスの部屋にやって来た。さすがにすさまじい移動距離である。体が疲れて今すぐ眠ってしまいたい――が、寝ている場合ではないのだ。
「ネズミじゃん」
 ジニアスの反応は淡々としていた。もう寝支度をしようとしていたらしい。
 いつもの服ではなく、仕立てのよさそうな丈の長い白の上着に、下にはおそろいのズボンをはいている。
「アルバが言ってたのこいつか」
 言いながら、枕の下からあの刀のような剣を出した。
 待て待て、その剣でなにをする気だ。
『待って!』
 リファは慌てて叫んだが、ジニアスには『ぢゅー!』とうなっているようにしか聞こえない。
「逃げないのか? アルバがびびるわけだな」
 ジニアスはのんきに首をかしげている。
 リファは走った。部屋の中央を、くるくる回って普通のネズミではないことを必死でアピールする。突如回りだしたネズミに、ジニアスも呆気に取られている。
 くるくる回るたびに、赤いリボンが宙に揺れた。
「ん?」
 ジニアスは剣をさっと下ろす。
「……お前、まさかリファ?」
 リファはキキーッと立ち止まると、それに力強くうなずいた。
 リファはこのときほど、〝勘が冴えてて素晴らしいで賞〟を贈呈したいと思ったことはなかった。
 普段なら絶対にそんなことをしないような小動物が、小さな頭をぶんぶんっと縦に振っているのを見て、ジニアスは信じてくれたようだった。
「なにしてんだお前は」
 あきれたように言われ、心の底から『私が知りたいわ』とツッコんだ。
 リファはジニアスに背中を向けると、頭で出口を差した。
(急がないと、急がないと)
 リファの本体が今どのような状態なのかわからない。もしかしたらもう外に出されて、着々といけにえの準備が進んでいるかもしれないのだ。
(もし、私が意識を戻すことなく本体が死んじゃったら、私はどうなるんだろう?もしかして一生をミミのなかで過ごすのかな)
 思い至って、心の底からゾッとした。
 今後役立ちそうにないが、ネズミも鳥肌が立つことを知る。
 そんなの、ミミにも申し訳なさすぎるし、あまりにも恐ろしすぎる。
「まさかネズミになって戻れなくなったのか?」
 ジニアスはなんだかたのしそうである。
 そんなにやにやしている場合ではないのだ。
「盾も出すし、花も出すし、もうお前がなにやっても驚かねえよ」
 いやまあ、信じてくれてありがたい。
 しかしリファは、ジニアスの部屋を出てしばらく走ってから、最大の難問にぶちあたってしまった。
 地下牢に向かうか、オオガミの祭壇に向かうか――。
(もし牢に向かって私の体と入れ違いになったら? でも、オオガミの祭壇に向かったら、ジニアスを危険にさらしてしまうかもしれない……)
 リファがネズミの姿で、あちらに行こうか、こちらに行こうかとまごまごしていると、回廊の先が騒がしくなった。
「ジニアス!」
 見れば、メイドたちとこちらへ駆けてくるのはアルバである。いつものように黒の長衣だが、ふかふわかとした素材の寝間着を着ている。暖かそうだ。
 普段あまり慌てたところを見せないアルバだが、今日は焦燥の表情を浮かべてこちらへ駆けてきた。
「どうした、アルバ」
 近づいてきたアルバに踏まれかけたリファをかばい、ジニアスが前へと出る。そんなジニアスの腕をがしっと掴んで、アルバは肩で息をしながら切羽詰まった顔を上げた。
「リファ殿がいません……!」
 アルバのその悲鳴にも似た声を聞いて、ジニアスはさっと足もとのネズミを見た。
 その顔は先ほどまでのお気楽なものではなく、真剣な目つきである。
「お前の本体はどこだ?」
 さすができる男は違う――。


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