転生幼女はもふもふたちに愛されて最強でしゅ!
アルフレート国城での待遇はとんでもなくよかった。
まるで高級ホテルである。いや、リファはりほのときも高級ホテルなんて泊まったことはないのだが、リファが望めばなんだって持ってきてもらえた。
意外と心配性のアンガッサとジニアスのおかげで、最初の三日間はベッドの上で過ごしたが、それでも不便はなかった。お風呂に入れなくても、温かいお湯とタオルで体を清潔に保てたし、そもそも森で過ごしているときなんて冷たい川の水で手足を洗っていたのだから、それだけでも十分に贅沢である。
熱が下がった次の夜。リファとジニアスは晩餐に招待された。
招かれた部屋は壁、天井、床がすべて黒い素材でできており、それにランプの光が反射して、まるで鏡のように光があちこちに散乱して見える幻想的な部屋だった。
知っている顔は、アルバ、アンガッサだけである。アルバは一段高い上座に座っており、その横に床から少しだけ高くなった敷物の上に腰かけている人物がいた。彼はアルダン。アルバの弟であり、アルフレートの国王である。そのほかには、国の重鎮やオオガミを祀る宗教 の上位の者たちがそろっていた。男女入り交じっており、皆が正装である。彼らはアルバやアルダンより低い床で、分厚い絨毯を何枚も重ねた上でに直接座っている。おいしそうなご馳走が、背の低いテーブルに並べられていた。
「そちらはお酒ではありません。よろしければどうぞ」
アルバがにっこりと微笑んだ。ランプの明かりに照らされた彼は不気味なほど美しく、悪魔のような妖しさすらある。アルダンももちろん整った顔をしているが、アルバのように人外の美しさではなく、どこか精悍さを感じさせる容姿をしていた。銀色の髪も短く刈り、ルダンのほうが年下だというのに、アルバよりずっと年を重ねているように見える。
(あんな兄がいたら苦労するだろうな……)
初日の双子王子とアルバのやりとりを思い出し、リファは勝手にアルダンに同情した。
晩餐とはいえ、物静かな雰囲気ではなく皆が思い思いにおしゃべりを楽しんでいた。
食事をしようとご馳走に手を伸ばしたリファの前に、薄いはちみつ色の液体が差し出される。
「食前酒のようなものですが、お酒ではありません。これでしたらリファ様も飲めるかと」
給仕係の女性がそういうので、リファは素直にそれを受け取って口にした。
「うまいか?」
横に座ってすでに酒をあおっているジニアスがリファに尋ねてくる。リファは喉の奥を流れた、梅酒のようなそれを味わっていた。
(酒じゃない? ほんとうに?)
今世では未成年でも、六度の人生を送ってきたリファにはお酒のように感じられた。
「おいしいよ」
リファはジニアスにそう答えた。
とはいえ、これほんとはお酒じゃない?とここで言うのも角が立つだろう。リファの体は今は小さいが、それでもこの少量のお酒一杯なら問題ないだろうと判断してのことだ。「でもちょっと」
変に酔っ払って周りに迷惑をかけても怖いので、ジニアスにだけはひと言伝えておこうと思いなおす。声量を抑えてジニアスに耳打ちしようとしたときだった。
「リファさん」
上座のアルバがリファの名を呼ぶ。顔を上げてそちらを見ると、一瞬くらりとした。
(うわ、ぼんやりしてきたな)
りほのときは、お酒は好きなほうだった。仕事から帰ったら家で缶ビール片手に晩酌するのが日課で、多い時には五本くらい平気で開けた。
(やっぱり小さい体だとアルコールが回るのも早いな)
少し動悸もしてきた気がするが、大げさにするほどのことでもない。
「リファさんは、あの孤高の銀狼たちとどのように意思疎通をはかっていらっしゃるのですか?」
おかしな質問だな、とリファは思った。
けれど、どこがおかしいのかがわからなかった。
ジニアスだけが、酒を飲む手を止めずにじっとアルバを見ている。
「……言葉です。私は彼らの言葉がわかるし、彼らも私の言葉を理解してくれる」
リファがそう言うと、歓談していた面々がおおっとざわついた。
「なんということだ」
「この世にそのような人間が存在するとは」
「巫女の素養があるのではないか?」
ぼそぼそとなにかを話されているが、リファの耳にはなぜかはっきりとは届かない。
「その能力はいつから?」
「昔からです……。ずっと昔」
何度目かの人生から、と答えるわけにはいかないと、酔っ払った頭でなんとか考えて答えた。
「それは素晴らしい」
アルバが感動したように拍手した。拍手ひとつとっても、美しい動作である。
「りふぁさんのその力は、崇(あが)められるべき神の祝福です」
感動したように言われて、リファは首をかしげた。
(動物たちと話せる力は、たしかにすごいとは思うけど)
もちろん、それに助けられたことも一度や二度ではない。ハンスたちと話せなければ、今頃彼らに食べられていたかもしれないのだ。
「私のこの力は、神の祝福でもなんでもない。私の一個性のようなものでふ」
そんな大げさなことではないのだ。リファは実家の猫・ナーコに話しかけてもらえるまで、ずっとこの力が疎ましかった。言葉がわかるだけでなく、様々な動物たちに好かれてしまうこの能力は、リファには制御しきれないことのほうが多かったのだ。
なにより、好かれすぎてイノシシに突進されて死んだ過去を持つ身としては、神の祝福だなんだとのんきに喜んでいられない。
「あなたたちにたたえられるような力ではありまちぇん」
なんてことだ、また噛んだ。一度目はスルーしてもらえたというのに、場の空気が一気にほわっとやわらかなものにかわる。恥ずかしすぎる。リファの断言する言葉に、アルバはむしろ感銘を受けたようだった。
「その心、実に素晴らしい」
ぱちぱちと、きれいにそろえられた白魚の手が拍手する。
「そのような特別な力を持つ者は、ほとんどの者が他者とは画する己に驕るもの。けれどリファさんは、そのお年で冷静に〝個性〟だと判断し、誤った使い方をしないよう心がけていらっしゃる……。素晴らしいです」
なぜか褒められた。リファは気分がよくなって、にへ、と笑う。
「うっ」
「なんて笑顔だ」
「無垢なる天使……!」
方々でそのような声が上がったが、幸いなことにリファの耳にはやはりはっきりとは届かなかった。
「あなたともっとお話がしてみたい。体調がよくなったとは聞きましたが、それにかかわらず、しばらく城に滞在なさってはどうでしょう?」
我々は歓迎します、と続けたアルバに、ほかの参列者たちもうんうんとうなずいている。大半はリファをほんわかと見つめて、数名はジニアスに熱い視線を向けて。
「どうする?」
リファへの提案であるからと、ジニアスはリファに判断を委ねた。
「えーと」
リファはぼんやりとする頭で必死に考えた。
大神オオガミ を恐れて、ここなら簡単に動物たちはやって来ない。
アルバは続ける。
「動物たちと心を通わせることができるとはいえ、なにもかもがあなたによきことをもたらすわけではないでしょう」
心の平穏のためにしばらく滞在しないか、と。
(――その通りだ)
アルバのそれは、リファにとってたしかに魅力的な提案だった。どこにいたって動物たちを引き寄せて、よかれと思って獲ってきたウサギの死骸を枕もとに贈られることにも、寄生虫の知識のあるリファにとって野生の動物たちが容赦なくなでてなでてと訪れることにも、たしかに疲れ気味だった。ハンスたちは別として、純粋にひっきりなしに現れる動物たちに疲れていた。
なにより、城ならふかふかのベッドで寝ることも、おいしい食事を取ることもできる。
(なにか裏があっても、こちとら六回も人生味わってるんだ。怖いものなんかない)
そうしてリファは、誘惑に負けて城に滞在することにしたのである。
ジニアスもこれみよがしに、神官アルバの賓客としての立場を利用して好き勝手に過ごしていた。読書家と言っていたのは本当だったのか、城が所蔵する本という本を読みあさっているようだった。それに飽きたら侍女やメイドたちをナンパして世間話に花を咲かせている。
ちなみにジニアスは、朝から晩まで高級な酒を片手に動き回っているが、相当強いのか酔った様子は見たことがない。とびぬけて美しい容姿が酒瓶をあおる姿だけで謎に絵になるらしく、ジニアスは城の人々に大人気だった。
「あのアルバを見慣れてる人でも、ジニアスがきれいに見えるの?」
城で過ごす間だけでもと、自分につけられた侍女ふたりに、リファは素朴な疑問をぶつけてみた。
「あたり前ですよ。ふたりともお美しいですが、種類が違うでしょう?」
「アルバ様は澄んだ湖にひとつだけ開く蓮の花のような美しさ、ジニアス様は黒曜石の中に閉じ込められた炎のような美しさがおありですもの」
茶髪の巻き毛のアイと、茶髪のストレートヘアのイフが、興奮気味にリファの問いかけに応えた。ふたりともそばかすがチャームポイントの立派なレディである。
リファはジニアスから譲り受けた塩こうじにつけた鶏肉を皿に移しながら、「湖の蓮と黒曜石の炎か、詩的だな」と感心していた。
「それを言ったらリファ様もですわ。お気づきになっていないようですけれど、城中で噂になっていますのよ」
イフがスープを注ぎながらそんなことを言う。
「まるで妖精のような少女をアルバ様が連れてこられたって。その姿はまるで朝露に濡れるスズラン、あるいは協会の天使に命が吹き込まれたようだって」
「ジニアス様とアルバ様が、リファ様を奪い合ってるらしいって噂もございますのよ。魅惑の三角関係ですわ」
とんでもない噂である。
リファは馬鹿正直に、うへあ、と心底嫌そうに顔をゆがめた。
「絶対にないわ」
塩こうじ鶏の皿やスープ、飲み物のデカンタなどが並んだテーブルの席につきながら、リファは断言した。
「まあ、どうしてですの?」
「いいえ、アイ。たしかに年が離れすぎていますわ」
「そうでしょ? あんなかっこいい大人が、こんな子供にお熱だなんてかっこ悪いよ」
今まで被害にあってきた立場で言わせてもらうが、ロリコンは今すぐ滅びるべきなのである。
「愛に年齢は関係ないとは言いますけれど、それは愛し合っているふたりにだけ有効な魔法の言葉ですわよね」
「けれど、リファ様はお優しくて聡明で、お料理もできて、見た目だけでなく中身もとても魅力的でいらっしゃいますから」
アイが素直に褒めてくれたのが恥ずかしくて、リファは顔を真っ赤にした。
「ありがとう……」
もごもごとそう言って、リファは塩こうじ鶏を口に放り込んだ。
その美少女の照れ顔に、アイとイフが小声で「尊い……」とつぶやいている。
リファの口の中で、甘じょっぱい肉のうまみが爆発した。イフとアイが見守る中、リファは目を閉じて心行くまで味わった。
もぐもぐ……ごくん。
かたん、とフォークと皿に置いて、リファは拳を握った。
「ああああああ」
そして叫んだ。
「うまい!!」
口の中がまるで楽園である。ずっと食べたかった味を、とうとうリファは七度目の人生で味わうことができたのである。
リファの歓喜に満ちた叫び声に、アイとイフが両手を叩いて一緒に喜んでくれる。
「絶品だわ。これは間違いなく塩こうじで間違いない……!」
鶏肉が嘘のようにふわふわにやわらかくなっている。
(優しい味なのに、十分な塩味。最高)
ちなみに城の厨房に塩と卵もあったので、卵焼きも作ってみた――ここにもフライパンが大小そろえて置いてあったので、やはり特許を取っておくべきだったか、と後悔したリファだった。
「まあ、ふわふわでとてもおいしいですわね」
「こんな卵料理、初めて食べましたわ」
こちらの世界で卵は、基本スクランブルエッグでパンにはさむか、目玉焼きにしてソースで食べるかである。
「口に合ってよかった」
リファは満足げに笑って、もうひと口卵焼きを食べた。
それに続いて、アイとイフも塩こうじ鶏を口にする。
「ふまあ!」
「なんておいしいの!」
リファのつたない手料理に喜んでくれるイフと姿が、この世界の父と母に重なって、リファは心の奥がむずむぞとして。うれしいような寂しいような、不思議な気持ちである。
「俺にもひと口」
胸がいっぱいになって、アイとイフの食べる姿を眺めていたリファの背後から、すっと手が伸びてきた。その手はお行儀悪く立ったままフォークを握り、塩こうじ鶏に突き刺す。
「おわ、うめえ」
塩こうじ鶏を口に入れたジニアスが、驚愕の顔を浮かべた。
それを見たアイとイフが、自分が作ったものでもないのに、そうでしょうそうでしょうと自慢げに微笑んでいる。
「あんな白カビみたいな見た目の調味料でこんなうまくなるのか」
「白カビって言うな」
リファが諫めても、ジニアスは立ったままぱくぱくと塩こうじ鶏を口に運んでいる。
もともとひと皿分しかなかった魅惑の塩こうじ鶏は、あっという間に残り数切れになってしまった。
「あの商人、嘘ついてなかったのか」
一通り食べきった後、ジニアスはリファの隣の椅子にどかっと腰を下ろした。長い脚を組んで、持っていた酒瓶を傾ける。姿は美しいが、やることなすことまるで酔っ払いオヤジである。
リファは冷たい視線をジニアスに投げた。
「オジサンみたいだからやめらら」
噛んだ。
「まだまだ若いから大丈夫なのら~」
ふざけて返してきたジニアスの脇腹に一発お見舞いする。
ごふっと含んでいた酒を吐いて、ジニアスは盛大に咳(せ)き込んだ。
「仲睦まじくていらっしゃる」
「素敵ですわ」
その様子を、アイとイフはにこにこと見守っていた。
「しかしうまいな、この鶏」
一通り咳き込んで落ち着いた後、ジニアスは今度は卵焼きにも手をつけた。
「こっちもうめえ」
完全に酒のつまみにされている。パクパクと肉厚の卵焼きまで食べられてしまった。
「リファ、料理うまいなあ」
人生七度目だとそういった経験も豊富なのである。日本人らしい料理をこちらの世界でどうやって作れるか、生まれ変わるたびによく試行錯誤していたのだ。
作ったものを褒められるのはうれしいものである。
「ありが」
「「うちのコックになればいいじゃん」」
リファのジニアスへの礼を遮って、聞きなれない声がハモって乱入してきた。
見れば、初日に紹介されて以来会うことのなかった双子の王子が口をもぐもぐさせて立っている。
「この鶏なに? 初めて食べる味がする」
「めっちゃうまいじゃん」
まるで天使のような容姿から、下町の子供たちとなんら変わらない言葉遣いが飛び出してくると、人は一瞬バグるらしい。リファは咄嗟になんの反応もできず、突如現れた双子たちを凝視するしかできなかった。
ちなみに皿の上の塩こうじ鶏は残りひと切れである。
「塩コージって珍しい調味料で漬けた鶏肉を焼いたものだ。うまいだろ」
ジニアスは双子の登場にさして驚くこともなく、自分が作ったわけでもないのに妙にドヤ顔している。
「この黄色いやつもおいしい」
フォークを豪快に卵焼きにぶっ刺して双子のどちらかが感嘆を漏らした。
「坊ちゃんたち、またお勉強の時間を抜け出してこられたんですか」
イフがあきれたように双子たちにお茶を出している。
「もお、またアンガッサ様に怒られますよ」
アイがまるで双子の姉のように言う。王子相手とは思えないほど気さくな話し方である。
「アンガッサのお説教はいつも同じだからな」
「なんだかんだ叔父上に頭が上がらないし」
双子はアイとイフのお小言など気にもしないで、注がれたお茶を飲むと卵焼きを口に詰め込んだ。
「行くあてがないなら、うちの城のコックになったらどう?」
口をもぐもぐさせながら、双子のどちらかがリファを勧誘してきた。
「それがいい。腕を磨けばもっとうまいものが作れるようになる」
双子のどちらかが相方に相づちを打つ。
「まて、こいつはいつか俺の国へと連れていくつもりなんだ。ここで雇われては困る」
ジニアスが双子の提案を蹴っているが、そんなことを思っていたなんてリファは初耳である。りふぁ不在のなか、話は進む。
「あなたの国はどこにあんの?」
双子のどちらかがジニアスに尋ねた。ほかがフランクすぎるのに、相手をさす言葉だけで育ちのよさがうかがえた。
リファが感心して双子を見ていると、ジニアスはにっと唇の端を上げた。
「砂漠のオリエイエだ」
「「ふん?あの軍事国家の?」」
「えっ?」
双子のハモった声に、リファは思わず声を上げた。
「スパイスの国じゃないの?」
のんきなリファに、双子は肩をすくめてみせた。
「それは貿易面での話だろ? その貿易拠点で得た莫大な資金を使って、世界一ともいわれる屈強な軍隊をかかえているのが砂漠のオリエイエなんだよ」
「なんだ、ちゃんとお勉強してるじゃないか」
ジニアスが小馬鹿にするように双子を褒めたが、双子はふんと鼻を鳴らしてそれを聞き流した。
「他国の要請で自国の傭兵も貸し出してるんだろ? 金にがめつい砂漠の成り上がり王族の国じゃん?」
「あん?」
双子のどちらかがオリエイエを揶揄すると、ジニアスががたっと椅子から立ち上がった。本気で怒ってはいないようだが、炎の瞳がひんやりと冷たい。
ぴりつく空気が肌に痛かった。
待て待て待て。リファは一拍遅れて慌てた。
「なんでいきなりそんな敵意むき出しなの」
ふたりとひとりの間に割り込んで、リファは困った顔で三人を見上げる。
この短時間でなぜここまで好戦的になれるのか謎である。
「ごはんの時間に喧嘩はだめだよ」
今のリファの表情を、効果音で表すとしたら〝きゅるるん〟である。
うるうるとした瞳に、紅潮した頬、困っている下がり眉、バラ色の唇――はるか昔、某コマーシャルではやった チワワの表情である。
『ごはんの時間に喧嘩を持ち込まない――』のは、リファの家の掟だった。
目を引ん剝くほどの美少女に〝きゅるるん〟をされて、双子とジニアスはたじたじになっている。
「わかった、悪かった」
ジニアスが先に手を上げて降参した。双子はふて腐れたように顔を背けたが、それ以上子憎たらしいことは言わなくなったので、リファはほっと息を吐く。
「リファ様、見事ですわ」
「無敵な〝きゅるるん〟ですわね」
アイとイフが両手を組んで感動したようにリファを見ている。
「役得だなあ、その容姿」
普段通りに戻ったジニアスが、両手を頭のうしろで組みながらリファに言った。
(きゅるるん?)
リファの疑問は、晴れることはなかった。
「やあやあ、にぎやかですね」
双子とジニアスの一触即発の緊張状態が収まったころ、アルバがのんきな顔で部屋へと入ってきた。リファの部屋に、この国のナンバーワンとナンバースリーあたりの地位を持つ人々がそろったことになる。今日のアルバのお召し物は、漆黒の長衣にヒョウ柄の羽織りものである。黒が好きなようだ。それとも宗教的な縛りがあるのだろうか。
「おや、なんと美味な」
アルバは残っていた塩こうじ鶏の最後のひと切れを、流れるような動作で口に入れた。
「!?」
ショックを受けたのはリファである。
「おい! お前に残してたんじゃねえぞ」
ジニアスがすかさずアルバに突っかかるが、アルバはお行儀よくゆっくりと咀嚼して口を開かない。
もぐもぐもぐ……ごくん。
「それは失礼を」
きちんとすべて飲み込んでから、アルバはジニアスに律儀に謝罪した。
「せっかくおいしそうなお料理が冷めているようでしたので……、わたくしに残してくださっているのかと」
悪気もなくそんなことを言うので、リファもジニアスも双子も、目がすんっと細くなった。
「お前たちの叔父上はどうなってんだ」
「「見た通りだろ」」
ジニアスが双子に耳打ちし、双子は半眼でハモっている。先ほどまで喧嘩を始めそうだったお云うのに、今度は仲がよく見えるから不思議だ。ジニアスは人との距離を、一気にゼロ距離まで詰める才能があるらしい。
「アルバ様、こちらへどうぞ」
優秀なアイとイフが、さささっとテーブルをセッティングしてアルバを座らせている。さすがアルフレートナンバーワンの男である。早々立ちっぱなしにはさせてもらえないようだ。
「ありがとう」
澄んだ湖にひとつだけ咲く美しい蓮のような尊顔がアイとイフに微笑む。ふたりは一瞬気絶しかけたが、プロ根性で黄泉の国から戻ってきて冷静な顔で茶を淹れ始めた。
「リファさんは体調はよくなりましたか?」
アルバに問われ、リファは慌てて返事をした。
「おかげ様で。お世話になりました」
ぺこりと下げられた小さな頭を、なぜかジニアスがいいこいいことなでている。
実は三日ほどで体調が回復してから、そろそろ滞在二週間になる。
ちなみに国の外にいるハンスたちには、毎夜遠吠えし無事を伝え合っている。
「そうでございますか。それはよかった」
アルバが目がつぶれるほど美しく優しい笑顔を浮かべた。サングラスがあったらかけて対面していたいくらいである。
「今日は少し残念な お話をしなくてはなりません」
悲し気に伏せられた長いまつ毛が、フルフルと震えている。まつ毛の存在感がすごすぎて、リファはじっとそこを見つめた。アルバはまつ毛まで金色で、まるで光の精霊のようである。
リファが自ら発光しているかのようなまつ毛に見とれている間に、アルバは無言でアイとイフを下がらせた。双子の王子も意外にも空気を読んで部屋の外へと出ていく。
一気に人の気配がなくなった部屋で、アルバは静かに口を開く――。
「今まで滞在されてきた費用の支払いをお願いします」
「「は?」」
リファとジニアスの第一声がきれいに重なる。まるで双子のようにハモってしまった。
見ると、普段は泰(たい)然(ぜん)自(じ)若(じゃく)としたジニアスもさすがに目を丸くしている。
「わたくしどもは滞在をお勧めしましたが、料金を取らないとはひと言も言っておりません」
「「は?」」
ハモり再び。
先ほどの殊勝な眼(まな)差(ざ)しはどこへやら。
今やアルバは、リファとジニアスを非難するような視線を彼らに向けている。
「我々は世界から疎まれている呪われた国。なかなかに他国との交易も難しく、慢性的な経済難なのでございます。我々と縁を持ったが最後、オオガミ様に呪いをうつされると心ないことを言う者もおります。大昔、周囲は美しく資源にあふれた森に囲まれていましたが、今はその森もオオガミ様の魔法で荒野となってしまいましたし」
しれっとそんなことを言うアルバに、リファとジニアスは未知のものでも見るかのような顔を向けた。
「ですので、おふたりが城に滞在された約二週間の滞在費、その他飲食代、風呂や図書館などの施設利用代などお支払いくださいませ」
すがすがしい笑顔がリファの網膜を焼いた。
七度目の人生で、まさか無銭飲食宿泊代未払いで逃げるわけにもいかない。大真面目な日本人の前世などくそくらえと思いながら、リファはそれを無視できなかった。とはいえ今の今まで着の身着のままのその日暮らし。持ち合わせなどあるわけがない。
思わず涙目でジニアスを見たが、ジニアスも提示された料金に白目をむいている。
そして気づけば、ジニアスとふたりでアルバをぶん殴っていた。
ぶん殴られて激怒したアルバが城を追い出してくれないかと期待したが、そうは問屋が卸さなかった。アルバは殴られた頬をなでて痛いとつぶやきながらも、気にした様子もない。そしてさらに話を続けた。
「お支払いが難しければ、お代はけっこうです。その代わりにお願いがございます」
二度目の「は?」である。
「リファ様のその特殊な個性でもってぜひ、わたくしどものオオガミ様を癒やしてくださいませ」
そして三度目の「は?」だった。
「我々が崇(すう)拝(はい)するオオガミ様は、百年前、他国の侵略からこのアルフレートを守るために強力な魔法を使われました。その魔法は、広大な森をすべて消し去り、いまだに草木ひとつ生えない荒野としてしまうほど強力なものだったのです。その魔法はオオガミ様をもむしばみ、弱り果てたオオガミ様は長きにわたる眠りにつかれました。この城の中央に設置された石碑に、オオガミ様は眠っておられるのです」
アルバは、リファとジニアスの胡(う)乱(ろん)な目など気にも留めず、つらつらと自分の言いたいことだけを語っている。
「そのオオガミ様の化身であられるクロマユ様をあなたの力で存分にもふもふしまくり、どうかオオガミ様を癒やしてくださいませ……」
暗に、そうしなければ無銭飲食で牢に入れるぞと言わんばかりの圧力を背負って、アルバは神妙に頭を下げた。
ふざけた物言いだが本人はいたって真剣らしい。
「いやクロマユって誰」
リファの冷静な突っ込みが冴えわたる。
こうしてリファの、〝目指せ! 疲れて弱りきったオオガミ癒やし計画!〟が始まったのである――。