身を引くはずが、一途な御曹司はママと息子を溺愛して離さない

「いえ、すみません。なんでもないです」

 ぶんぶんと首を振りながらごまかしていると、突然「あっ」と声を上げた女性スタッフの視線が私を通り越した先に向けられる。途端に、彼女の姿勢がしゃきんと伸びた。

「噂をしたら、いらっしゃったみたいです」

 ……えっ。

 女性スタッフの言葉に、私の心が一気にざわつく。

 いらっしゃったって、もしかして……。

 嫌な予感がして、恐る恐る後ろを振り向いた。そこには上等なスーツを身に着けた長身男性ふたりがこちらに向かって歩いてくる姿が見える。

 そのうちのひとりと目が合った瞬間、どくりと心臓が激しく波打った。とっさに自分の顔を隠すようにうつむく。

「お疲れ様です。芹沢(せりざわ)社長、(さかき)さん」

 女性スタッフのハキハキとした声がやけに大きく耳に響いた。

 〝芹沢〟も〝榊〟も、私にとってはとてもよく聞き慣れた苗字だ。

 特に芹沢の方は私が最も会いたくない人物。

 セリザワブライダルを退社して四年。音信不通の日々が続いていたのに、まさかこんな形で再会することになるなんて。

 おそらくこれからプランナー会議に参加するため、本社から式場へと足を運んだのだろう。

 なんとなくここへ配達に来る前から感じていた嫌な予感が的中してしまったようだ。

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