自分勝手な恋

 その時、マスクを外した松木さんと目が合って、彼は気まずそうに笑った。
 私もどうにか微笑み返しはしたけど、少し鼻が赤くなったその少年っぽい笑顔にやられたんだと思う。

 今までまったく興味もなかったのに、さり気なく左手薬指をチェックしてしまっていたから。
 指輪はしていなかったけど、別居中の奥さんがいるというのは後で誰かから聞いた話。

 それからはついつい目で松木さんを追っていた。
 無理やり用事を作って設計課のフロアに行ってみたり、食堂で姿を捜したり。

 気付いた時にはもう止められなかった。
 いくら別居中とはいえ、松木さんは結婚しているのに。
 想いを伝えることもできずに、ただ恋心と罪悪感を募らせていった。

 そして片想いを初めて一年、耳に入ってきたのは松木さんが正式に離婚したという噂。
 子供もいなかったため、円満に別れたと聞いて、ほっとしながら喜んでいる自分が嫌だった。
 なんて自分勝手なんだろうって。

 だけど、もう次にはどうやって近づこうかと考えている。
 社内メールで食事に誘う?
 誰か間に入ってもらう?
 大胆なことを思いついては、実行する勇気が出なくてため息が出るだけ。
 そんな時だった。


「広野さん、元気ないけど大丈夫?」


 リフレッシュルームで一人、コーヒーを飲んでいた私に、松木さんが声をかけてくれた。


「は、はい。大丈夫です!」


 私の返事に松木さんは優しく微笑んで、自販機に向かった。
 いつも買うのはミル挽きコーヒー、濃いめのブラック。


「あれ? 砂糖入れるんですか?」

「え?」


 砂糖増量ボタンを押したのに気付いて、私は思わず訊いてしまい、松木さんが驚いて振り向いた。

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