【完】片手間にキスをしないで
「……はは、」
眼鏡は伊達のだったはずなのに、どうしてこうも明瞭に映し出されるのか。
奈央は中途半端に立ち上がったまま、乾いた笑いを零す。そして、意味もなく眉間をつねる。
俺じゃなくてもいい───格好つけて、そう紡ごうとした過去はある。
でも、実際に告げることはなかった。告げられなかった。手放すべきときが来るとは、思ってもみなかったからだろう。
否……手放したくなんてないんだろ。今だって。
ブーッ、ブーッ。
ブレザーのポケットから鳴り響くマナーモード。
情けなく肩をビクリと上下させた後、図書室の外に出る。もう初夏だというのに結露した廊下は冷たくて、奈央は腕を摩った。
「……はい」
『お、奈央。悪いな急に。もう授業終わってるか?』
電話の相手は鮫島。内容は大方予想通り、バイトに入る時間を早められないか、という相談だった。
奈央は「すぐ行くよ」と返した後、小さく深呼吸を終えて言った。
「俺からも、ひとつ話したいことがある」