【完】片手間にキスをしないで


だから、すれ違いざま、その少女に肩をぶつけたのは故意だった。


「きゃっ……」


尻もちをついて転ぶ。振り返ってみたその姿は滑稽で、ふふっ、と声が漏れた。


「ばっ……おまえ、何やってんだよ……」


でも、すぐに。彼女に視線を合わせる奈央の行動に、吐き気を催した。


「つーか、おい。お前……わざとぶつかってんだろ」

「だ、大丈夫だよ、奈央クン」


肩を掴まれると、その吐き気は増していった。イイコ面をして彼を引き留める少女の手を、引き裂いてしまいたくなった。


「は……なんでお前が、」

「……裏切りモノ」


悠理は言い捨て、逃げるようにその場を去った。



〝片想い〟だとか〝失恋〟だとか、そんな言葉はこちらの世界には存在しなくて。ただ、五感で覚えた温かいココアの存在を、世界から消し去ることはできなかった。


それからずっと、魚の骨が喉に詰まったような感覚で。


いつかその骨が血管を巡り、心臓を刺すのではないかという不安が、消えなかった。

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