【完】片手間にキスをしないで


それでも足りなかった。無防備に背を向ける奴らにも、拳を振り下ろしたくなった。


『……ッ』


フードの中で自制する。かみしめた唇から血が滲んでいたことに、自分でさえも気が付かずにいた。


ああ……そうだ。あのときか───


『やれば』


空気を揺らすことなく隣に佇む、奈央の声を聴いたのは。


『や、るって、でも』

『暴力が悪いって、分かってんならやればいいよ』


淡々と紡がれる言葉。意味が分からなかった。


悪いって分かってるからやらないんだろ───思い伏せながら拳を握りしめる。


『傷みが分からない奴は、振るっちゃいけない。でも、春永は分かってる』


同じクラスにいることすら知らなかった、地味で無口で、群れない男。そう思っていた冬原奈央は、案外しゃべる奴だった。


『あと』

『……?』

『鮎って、綺麗なところにしかいられない魚らしい』


そして案外、踏み込んでくる奴だった。

< 327 / 330 >

この作品をシェア

pagetop