【完】片手間にキスをしないで
それでも足りなかった。無防備に背を向ける奴らにも、拳を振り下ろしたくなった。
『……ッ』
フードの中で自制する。かみしめた唇から血が滲んでいたことに、自分でさえも気が付かずにいた。
ああ……そうだ。あのときか───
『やれば』
空気を揺らすことなく隣に佇む、奈央の声を聴いたのは。
『や、るって、でも』
『暴力が悪いって、分かってんならやればいいよ』
淡々と紡がれる言葉。意味が分からなかった。
悪いって分かってるからやらないんだろ───思い伏せながら拳を握りしめる。
『傷みが分からない奴は、振るっちゃいけない。でも、春永は分かってる』
同じクラスにいることすら知らなかった、地味で無口で、群れない男。そう思っていた冬原奈央は、案外しゃべる奴だった。
『あと』
『……?』
『鮎って、綺麗なところにしかいられない魚らしい』
そして案外、踏み込んでくる奴だった。