【完】片手間にキスをしないで
流しと食器棚の隙間、わずか数センチ。高い背表紙の文字を、読み上げようとした瞬間だった。
「勝手に漁んな」
手元をスルリと抜ける本。視線を持ち上げると、しゃがんだまま夏杏耶を見下ろす奈央が居た。それも、たいそう機嫌が悪そうに。
「ごめんっ、漁ってたわけじゃないんだけど」
「そうか。じゃあ早く風呂入れ」
「はい……」
「あと、あれ。どうにかしろ」
逸らされる視線。クイッと顎で示された先には下着が散らばっていて。「げっ……」と急ピッチで、服の下に溜め込む。
小ぶりなブラにショーツ。動揺のひとつなく指摘された夏杏耶は、思わず口を尖らせた。
「奈央クン」
「ん」
「あのさ。キス、してほしいんだけど」
あと、さっきまで手に持っていた〝レシピ本〟は、一体どこへやったの?───そう付け足すつもりだった言葉を、寸前で呑み込んだ。
いまは彼の秘め事よりも、下着にすら動じてくれないことに存外沈んでいたから。……とはいえ、唐突にキスをせがむ理由には到底結びつかないけれど。