赤色の雨が降る頃に

No one there

　「なあ、ここまで聞いても、お前と同じなんて言えるか？」
　彼は切ない顔をして言った。僕はといえば、溢れそうな涙を必死に堪えるので精一杯だった。
　「す、すまない」
　「責める気はないよ。実際、俺はレイって名前が気に入ってるし」
　レイはまた煙を吐き出すと、窓の外を向いて、
　「おっちゃんが俺の中に生きてる感じがするしね」
　と呟いた。
　「ていうかさ、お前、すごいよ。俺が普通じゃないって気づいて、話しかけてくるなんてさ。普通はみんな、俺の汚い身なりと目つきを見たらすぐに逃げ出すのに」
　「君もなのか？」
　僕は思わず訊き返した。
　「俺も？何がだよ。お前さんは綺麗な服着てるし、優しい目をしてるってのに」
　「僕も、いつも逃げられるんだよ。初対面の人にはね」
　「嘘つくなよ。同情ならいらないぜ？」
　彼は、疑うような視線を向けていた。だけど、すがるような視線にも見えて…。
　「ほんとだよ。顔色が悪くて、人間じゃないみたいだからって」
　「正しくは、人間じゃないから、だろ？」
　「何で分か…いや、そんなわけないだろうが。下手なジョークはやめてくれ」
　「動揺してるのが丸わかりだぜ、ドラキュラさん？」
　まさか、感づかれたか…。それとも、この少年は、市警の仲間なのか？
　「目が赤くなってきてるぜ。腹が減ってる上に、この血の匂い。耐えられないんだろ？」
　嘲笑う彼の口調。だけど、その目は全てを知っている目で…。
　「おっちゃんが言ってたんだ。内臓を仕入れに屠殺場に行くと、いつもゴミ箱のあたりで内臓に噛み付いてる男がいるんだって。赤い目をしていて、色白で、綺麗なジャケットを着込んでいて、男のくせにすごく綺麗なんだとも言ってたな」
　その瞬間、レイは僕に顔を近づけて、さっきの甘い煙を少しずつ吐き出しながら言った。
　「それって、お前のことだよな？アレンさん」
　心臓が激しく鼓動を打ち始める。僕は…殺されるのか？
　「ま、だからってどうってことないけどな」
　彼は、元の位置に戻って言った。
　「お前がいい奴なのは変わりない。長い話も泣きながら聞いてくれて、分かってくれてさ。感謝してるぜ。…てかさ、お前、どこか行くんじゃないの？」
　そう言われてハッとした。そうだ。僕は逃げなきゃならない。
　「ドラキュラさんも大変だな。1人がルールを破ったら、お前まで逃げなきゃならないなんて。お前があの事件を起こすとは思えないし。がんばれよ」
　彼は車を降りようとした。だが、僕は気づけば叫んでいた。
　「行かないでくれ、レイ！」
　僕は彼の手首を掴んだ。彼は、振りほどこうともせずに、こちらに向き直った。
　「ドラキュラさん、まだ俺に用か？話は終わった。俺もスッキリしたし。薬たっぷりの血なら少しはやってもいいけど」
　「違う」
　「は？」
　「僕が欲しいのは血じゃない」
　「ドラキュラが何言ってんだよ？」
　「僕は人間の、特に、君みたいに歩み寄ってきてくれた人の血は吸わないって、とうの昔に決めた。僕は、君が…その、なんて言っていいか」
　レイは鼻で笑った。
　「分かったよ。いてやるから。どうせなら、お前の逃亡に付き合ってやるよ。どうせ家も家族もない」
　「自分から頼んでおいて、何だよその言い草」
　「お前が引き止めたんだろうが！お前のあだ名、ムジュンパイアにしてやろうか？！」
　「嫌だよ！そんなダサい名前！…でも、まあ、僕といれば、趣味の悪い輩に何かされることもないとは、思うし、それに、いてくれるなら、僕も、そのほうがいいけど」
　僕は、もう彼がどこにも行かないと安心したのか、手を離してしまった。
　「いてやるよ。俺、なんか生まれて初めて、誰かの役に立てる気がするし。あ、飯とってきてやるよ」
　彼は半開きだった扉を開けた。このまま逃げるかも、なんて考えつかなかった。彼とは出会うべくして出会ったんだ。もうどこにも行くはずがない。
　「ほら、飯」
　彼は助手席に乗り込み、豚の肝臓を差し出した。
　「ありがとな」
　僕は車のエンジンを再びかけて、彼が渡してくれた肝臓に噛みついた。
　何ヶ月振りだろう、この鉄の味。生臭いけど、なんだか心地いい。
　「うまいか？」
　「あ、ああ」
　「よかった」
　彼は満足そうに微笑むと、窓を開けてすっかり短くなったタバコを放り投げた。
　「さてと、行こうぜ。誰もいないところへ。誰の目にもつかないところへ」
　レイは、知っていたかのようにそう言った。
　僕は、アクセルを力一杯踏み込んだ。