身代わり政略結婚~次期頭取は激しい独占欲を滲ませる~
 実際には百メートルも移動していないのに、すごく疲れてる。額にも汗がじわりと滲んできてしまった。

「ここだ。先方はすでに中で待っている。まあ、あまり緊張しないで」
「……はい」

 伯父は良かれと思って言ってくれたんだろうけれど、緊張するなって、そんなの無理に決まってる。

 伯父や父の後について座敷に上がったとき、私の緊張は最高潮に達した。

 開いた襖の向こう側には三人座っている。直視できないために、私は足元に視線を落とした。

 伯父がひとこと相手側に声をかけ、私たちは向かい側に座った。
 すぐに鷹藤会長らしき老人と伯父が笑顔で会話を重ねている。

 その間、私はあまり下向きすぎても失礼かな、と思ってそろりと顔を上げた。
 瞬間、正面の男性と思い切り目が合った。

 絵に描いたような美形。知的な眉に通った鼻梁。
 彼は切れ長の目をふっと細め、さわやかな笑みをこちらに向けた。

「私はいづみフィナンシャルグループ代表取締役会長、鷹藤一郎(いちろう)と申します。端にいますのが息子の嫁の和沙(かずさ)。そして隣が、先日海外から我がグループいづみ銀行本店に戻ってきた孫の(なる)です」

 鷹藤会長の紹介に耳を傾けていたら、目の前の彼がとても美しいお辞儀をした。

「初めまして。ただいまご紹介に預かりました鷹藤成と申します。本日はよろしくお願いします」

 私はおずおずと頭を下げ、口を開く。

「し、時雨梓と申します。どうぞよろしく……お願いいたします」

 しどろもどろに挨拶をして、再び座卓に目線を据えた。

 チラチラとしか見なかったけど、鷹藤会長も今は伯父と笑って話してはいるが厳格そうな雰囲気だし、成さんのお母様は凛とした女性っぽかった。

 なによりも、鷹藤成――彼の魅力は整った容姿だけでなく、聡明な話し方、堂々として芯が通ったようなオーラ……。圧倒的高スペックな男性に違いないと肌で感じる。

 談笑が続く間も私の緊張は緩むこともなく、なにか話を振られればひとことふたことで返し、引きつった笑顔を浮かべる。

 こんなの、一対一じゃとても間が持たなかった。両親がいてくれて本当によかった。

 特にこういう場では母はとても頼りになる。肩肘張らず、いつも通りの雰囲気で会話してくれてるから。

 スタッフが提供してくれたお茶と茶菓子にも手を付けられず、ほとんどグッと口角を上げて頷いていただけで三十分経過したかというときだ。
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