大胆不敵な魔女様は、悪役令嬢も、疑恋人だってできちゃうんです。
◇変わる
燕草月 終八日
ビリー。
嫌な予感しかしません。
毎日ですよ。
理解してもらえるまで話をするしか無いのかと考えると、気が重いです。
「行くぞ、マリオン」
「カイル! なぜここが?!」
「……ビクターが教えてくれたぞ?」
「……あいつ……」
薄暗く、何だか分からないものがこれでもかと置いてある物置で、マリオンは誰にも頼まれていないのにひとりで片付けをしていた。
王城の中心が政を行う場所で、その両翼の片側が騎士たちのいる場所、反対側に魔術師たちの場所がある。
物置は更にその端、半地下のようになった狭い部屋。
すぐ横には大きな塔があるので陽当たりも悪く、風も抜けにくいのでじめじめした環境だ。
物置部屋の上の方には通気口のような明かり取り。地面すれすれにあるので、横長の隙間からはひょろひょろと元気のない雑草が見えている。
その場の雰囲気はもちろんのこと、埃に混ざるほのかなカビ臭さも相まって、魔術師でさえ用があっても避けたがる場所だ。
再会から今日で五日。
カイルは毎日、昼時になるとマリオンを食事に誘いにやってくる。
「……こんな所があるのか……薄気味悪いな。初めて来たぞ」
「……私もですよ」
「何してるんだ? 手伝うか?」
「……片付けですけど……もう意味ないです」
なにが入っているのか、開けてみる気にもならない小さな木箱を、マリオンは背後を確認もせずに放り投げた。
何かが割れたような音と金属がぶつかり合うような高い音が同時にしたが、振り返ったりはしなかった。
「行けるか?」
「そのことですけど、カイル」
「うん?」
「昨日も、その前も、その前も。私が何て言ったか覚えてますか? 理解してます?」
「……ああ」
「ああ、じゃないですよ! 聞いて、お願いを!!」
「やだ」
「子どもか!」
「まさか俺を避ける為にこんな場所に?」
「まさか今になって気付くなんて!」
「……いいから行くぞ」
「……効果が無い!!」
ははと愉快そうに短く笑うと、カイルはマリオンの手を取った。いつものように目を閉じる。
転移で周囲が一変することも、転移自体も、慣れないとそれなりに負荷はある。
目を閉じて視覚を、人に触れて触覚を紛らわせたりごまかしたりする。
無防備に目を閉じて、どこも力まずひとつも構えた様子のないカイルに、マリオンは小さく舌打ちをした。
にやにやと笑っている顔が腹立たしい。
翌日にはどうかと思うと注意をした。
三日目には断ったが諦めなかった。
四日目は理由を説明したし、お願いもした。
ひと時、たまたま同じ場所に居ただけの間柄だ。
あなたと私はそもそも進むべき道が違うのだ。
毎日顔を合わせる意味は無い。
カイルは話を真剣に聞いていたが、返事はただひと言、俺はそうは思わない、とはっきりと口にしただけだった。
そのあとはどれだけ言葉を尽くして理由を付けようとも、一歩も引かない。
結果マリオンが根負けする形になる。
転移の感覚にも慣れてきて、落ち着いて目を開けると、もう見慣れた小さな部屋の景色。
「今日は俺が店を見つけた」
「……はいはい」
「支払いも俺持ちだ」
「あーどうもどうも」
「喜んでもらえるか楽しみだな」
「そーですね」
非常に機嫌の良いカイルに手を引かれて城都の大通りを歩く。
ここだと立ち止まった場所は、いつもなら避けそうな、きれいで小洒落た、高級そうな店だった。
「……カイル……こういう店は……」
「そうだな……埃は払った方が良さそうだ」
ローブは術が効いているのできれいだが、頬には灰色の筋が走っていた。フードを取られ、顔を拭われる。なんなら着崩れも直された。
流れで手を取られて、そのまま店の中に連れて行かれる。
扉のすぐ内側には案内係。
前もって予約していたらしく、カイルが名を告げると、恭しく店の奥へ促される。
卓が並ぶ広い場所ではなく、通路を奥へ進み、個室に案内された。
マリオンは完全に萎えてため息も出ない。
陽当たりの良い小さな部屋には、品の良い調度と、品の良さそうな先客がいた。
「マリオン!」
「リディア!! リックも!!」
「もう、マリオン! このやろう!!」
椅子から立ち上がったリディアは、ぶつかるような勢いでマリオンに抱き付いた。
ぎゅうぎゅうと抱きしめて、頬をぐりぐりとこねる。
これまで見てきた騎士のような姿では無く、リディアは貴婦人の衣装だった。が、その理由はすぐに分かった。
腹回りがゆったりした衣装。抱きしめられるとリディアのお腹に押される感覚がする。
「……やろうじゃない」
「おかえり!……ていうか、帰ってるなら顔見せに来てよ!」
「ただいま……そのうちって思ってはいたんだけど」
「まぁ俺たちもなんか会い辛いって気持ちは否定できないけどな……おかえり、マリオン」
「久しぶり、リック……背伸びた?」
「ふは!……おかげさまで。マリオンも大きくなったね」
カイルだって以前のままではないのに、それと変わらないくらいにリックの背も伸びている。
カイルより細身なリックは、余計に背が高くなったように見える。
カイルはいつもの簡素な服装だが、リックは高位を示す騎士服を纏っていた。
食事をしながら取り留めもない話をする。
食後の落ち着いた頃になって、リックがマリオンに改めて頭を下げた。
「がんばったつもりだったけど……任期が終わるより前にこっちに戻せなくて悪かった」
「リック……それは違います」
戦場に出て三年目の終わり頃、リックの署名の入った帰還命令の書状は、何度かマリオンの元まで届いていた。
その時は帰る理由よりも、帰らない理由の方がはっきりと大きく存在していた。
「帰還命令は届いてましたけど、無かったことにしました」
「は?!」
「リックの署名があったので、びっくりしましたよ」
「は?……え、ちょっと、マリオン?!」
「師長からの帰還命令も来てましたねぇ」
「俺から頼んだからね?!」
「……でも混乱してるでしょ、前線は。乗じて盗難も多かったですし。書状なんかどこで紛失するか……まぁ仕様がないですよね?」
「そ……んな……俺たちの努力……」
「気を揉ませてしまったみたいで、すみません」
「ああ…………いや、いいんだ。マリオンが決めたことならとやかく言う権利はない」
「そう言ってもらえるとありがたいです」
「俺たちの努力なんて、実際に戦場に居たマリオンとは比べものにならないもんな」
「それは違います。そもそも比べようが無いものを比べないで下さい。どっちがどうとかいう話でも無いですし……ああ、でも。私のためにみんなの進むべき道が変わったなら、それは、本当に申し訳ないです」
「……それが。そんなに悪くない道だったんだよね。俺は、だけど」
「ちょっと待って、私もだって」
「……俺もだ」
実家を継いだのは兄弟で、リックは王城でその騎士たちを取りまとめる高官の道へ。
未だ上り詰めてはいないが、その次の次辺りの地位にいる。
「剣を振り回すよりこっちの方が合ってたみたいだし……気持ち良いよね、人を顎で使うのって」
「そんな奴に使われる方は最悪だけどね」
リディアはリックの直近の部下になった。
つい先頃までは働いていたが、子どもができたことが判かり、夫の強い勧めもあって職を辞している。
リディアの夫は最高官補佐、上司の上司に見初められた形だ。リックに婿をあてがわれなくて、それだけで非常に結構なことだった。
権謀術数が渦巻く王城から離れられて、誰よりリディアの両親が両手を上げて喜んだ。
座ればよく分かるお腹の膨らみに、リディアはそっと手を置いている。
「いつ産まれるの?」
「秋だよ」
「楽しみだね」
「私は気が重いよ」
「腹もだろ」
「うるさいだまれ」
「子どもにはそんな口覚えさせるなよ?」
「余計なお世話だ」
きりとした雰囲気は和らぎ、長い髪をゆったりとまとめ、柔らかく笑うリディアは、誰から見ても幸せそうだ。
「今日マリオンに会えると思って持ってきたんだ……これ」
リディアは傍に置いていた小箱を卓の上にそっと置いた。
蓋を開いて中側をマリオンの方に向ける。
「渡せる日が来て嬉しい」
「リディア……ありがとう」
「どういたしまして」
カイルからもらった銀の小花の髪飾りと、硝子細工の小鳥。
箱を受け取って、久しぶりに見るそれらにマリオンは口の両端を持ち上げる。
「ふふ……似合わない歳になったけど」
「んもぅ、そういうこと言わないの」
「また似合うものを贈ってもらえばいいんだよ。な? カイル?」
「ああ……どんなものでも」
「おっとー?」
「何にしようか?」
「あらら〜? どうしたカイルさん、成長したね〜」
「うるさい黙れ」
「…………ああ、良いね。こういう会話も久しぶり」
王城に出仕してからは確実に学院にいた頃とは変わった。
己のやるべきことも、実力をつけた頃にはその立場も、考え方も。
カイルの質実剛健とした様は騎士には好まれる姿勢で、特に部下からの信頼を集めている。
リックもその点はこれまでも大いに活用してきた。
自分の考えを直接言える関係は同様に変わらなかったが、そこには立場という隔たりができてしまった。
今、この時だけは。
それを忘れて、昔に戻ったような気がする。
懐かしい顔を見合わせながら、穏やかに笑う。
あの頃に思っていた道には進めなかったかも知れない。でもいつかまた皆でこうして同じ卓で食事をすることを心の拠り所にして、それぞれの道の上を力の限り走ってきた。
「色々話が聞けて良かったです。みんなの様子も分かって嬉しいです」
「そうだね」
「私のことはこれで終わりでいいですか?」
「……マリオン? なに言って」
「もうこういうのやめましょう」
席を立ち上がるとマリオンはにっこりと笑い、頷くように頭を下げる。
カイルに自力で帰るように言うと、その場に転移門を描いてあっさりと姿を消した。
「…………おっと……魔術師の魔術師らしさに磨きがかかってるね」
「ねぇ、ちょっとカイル何したの?」
「俺は何も」
「ほんと?」
言葉を喉に詰まらせたカイルは、何も返せない。
思い当たるものが無いだけ、これまでの全部がダメだったような気がする。
「マリオン怒らせたんじゃない?」
「ははは! なら俺も知らないぞ? お前、歩いて帰れ!」
リックは腹を抱えて笑っているし、リディアは仕様がない子どもを見る親の顔をしている。
困惑だけが身体中から溢れて、それを道々に撒き散らしながら、カイルはとぼとぼとひとり王城まで歩いた。