大胆不敵な魔女様は、悪役令嬢も、疑恋人だってできちゃうんです。
◇離れる
燕草月 終十日
ビリー。
望むことはこちらの勝手な都合。
求めるのはそちらの勝手な都合。
制限はするものでもないし、されるものでもない。
でも応えるかどうかは求められた側が決めること、そうでしょう?
地下にある石牢は、真ん中に通路が通り、両側に小部屋が並んでいる。
太い鉄の棒が縦に並び、小さな子どもならすり抜けられそうな間隔だが、それができないように鉄棒には無数の棘が立っている。
マリオンたちが地下への石段を下り切った時には、その鉄棒はぐにゃりと曲がり、一本の上部は完全に外れていた。
大人でも余裕で通れるほどの隙間だったが、中に押し込まれていた竜にはまだ狭い。
人が三人分ほどの体長、五人分以上の重量はある。
地を走る竜、地竜は怒りの咆哮を吐き、開いた鉄棒の間から、人を食い散らそうと頭を出しては空気に噛みつき、間をこじ開けようと鉄棒に体当たりをしていた。
「なんのザマだ、これは!」
石牢の中で反響する涼やかな声は、マリオンから発されていた。
驚いてそちらを見たのは、カイルとリックだけではなく、逃げ遅れて通路の反対側に固まっていた若年の騎士たちもだった。
「ビクターを呼んでこい」
振り返ったマリオンは、カイルとリックに告げる。
カイルはリックの腕を掴んで、階段の方へ押した。
油断ならない場面だ。友に何かあってはいけないし、ましてリックは上官だという意識が働く。
術師の書庫にいると低い声で伝えて、掴んだ腕をぐと握って離した。
リックは無言で頷いて、石段を駆け上がっていった。
「手懐けられるとでも勘違いしたか。馬鹿者が……」
騎士たちに見向きもせず、横柄にものを言う。
マリオンの目は、竜の腹に突き立っていた長剣と、太い足や立派な尾にある数本の槍の柄を見ていた。
ぐるぐると低く唸っている竜は、石床に滴るほど血を流している。
軽く詠唱して手を振ると、竜は口先と、前脚、後ろ脚、尾をそれぞれ縛られて均衡を失い、壁にぶつかってずるずると横向きに倒れた。
マリオンは散歩のような足取りで鉄棒の間をすり抜けて、躊躇なく竜に近付いて、草花を摘むように腹から長剣を抜き取った。
吠えた声は閉じた口から、大きな呻きとしてしか聞こえない。
「……アーネスト?」
長剣に銘打たれた持ち主の名を読み上げる。
カイルは苦い顔をさらに顰めて、端的にその人物を説明した。
上司を別に持つ、若い騎士だった。
「そいつを連れてこい、これに関わった者も全員だ」
長剣の、もちろん刃の部分を、逃げ遅れて端で固まっていた騎士たちに向けて投げた。
術を加減したので、しっかりと騎士たちの紙一重の場所に、間違いなく石壁に突き刺さる。
「聞こえなかったか」
「……アーネスト・ル・フォードだ、行け!」
石床が震えるほどの低音でカイルが命ずる。
その声で自分を取り戻し、返事にも悲鳴にもならない鋭い息を吸い込んで、騎士たちはマリオンとカイルの後ろを走り抜けていった。
「…………マリオン」
槍を一本一本抜いていき、その辺りに放り投げる。
からりと乾いた槍の落ちる音、荒く繰り返される竜の鼻息が耳に付く。
歩を進めてマリオンに近付く。
牢内に足を踏み入れる寸前で、片方の手のひらを向けられ、カイルはそこで足を止めた。
マリオンはカイルを見向きもせずに、竜の頭の方に回ってしゃがみ込む。
頭の上に手を置いて、悪かったと静かに声をかけた。
「無駄に苦しませた……頑張ったな」
銀色の目は暗い石牢でも、わずかな光を拾ってきらきらとしている。真丸だった瞳孔が、マリオンの声に応えるようにすと縦長になった。
どすと鈍い音がすると、地竜の身体は弛緩した。小さな鼻からは血が流れ、遅れて頭の下にも血溜まりが広がっていく。
しばらくすると足音が石段を下りてくる。
状況をすぐに察して、ビクターが大きく悪態を吐いた。
「腹に穴が開いてるじゃないか! 馬鹿しか居ないのかここは!!」
ビクターがここに地竜を閉じ込めたのは、解体して素材を取るためだったが、それをするためにはまず胃や腸の中身を空にさせてきれいになるまで待つ必要があった。
捌くにもひとりだと朝から始めても日暮れには間に合わない。
死んだ瞬間、内臓から腐敗が始まっていくので時間との勝負になってくる。
「くそったれ! 予定がめちゃくちゃだ!」
「ここは狭い、外に出そう」
「…………バラして出すぞ、こら!」
「いい……もうすぐ人手が来る」
「……血がこんなに……もったいない」
ビクターが手元に丈夫で大きな布を呼び出して、床に広げる。
これに関わった若い騎士たちが寄ってたかって布の上に竜を乗せて、屋外に出て中庭を横切り、温室の側の広場まで運んだ。
解体の始まった横で、騎士たちには穴を掘らせた。ダメになった内臓や、使えない部位を埋めるために、竜の大きさ、自分の頭の先まですっぽり入る深さに穴を掘らせる。
ことの重大さは認識していないが、リックとカイルの監視下で、大きな反論は出なかった。
「頭を潰したのか?」
「うん」
「喉は?」
「脳だけだってば」
「……よし、俺内臓、お前皮を剥げ」
「……はいはい」
腹には穴が空いてしまったので、皮としての価値が下がった。ビクターもそこは諦めて作業がし易いように腹を裂き、内臓を掻き出す。
この地竜は草食なので、いくつかある胃の中に石を溜めてそれで草を擦り潰して消化する。
何故かこの種は、きらきらした鉱石を掘り出して飲み込む習性がある。
ビクターもそれを知っていて、わざわざこの種を狩ってきた。普通の石も混ざるが、希少な鉱石が一番の目当てだった。
マリオンは背中から尾にかけて、なるべく大きく皮を剥ごうと、切れ目を入れていく。
本来は尾も入れるところだが、尾にも穴は空いてしまっているので、そこは切り分けると決まった。
もう腐敗が始まって、辺りには鼻の奥が痛くなるような刺激臭が広がる。
若い騎士たちはその臭いと、掻き出された内臓とで、穴の中の自分の吐瀉物も掘り出す羽目になる。
「ビクター、手伝おう」
「……じゃあ、爪と牙を採ってくれ」
「ああ、どうすれば良い?」
一度だけ手本を見せると、カイルは要領良く素材の回収を始める。
リックは青白い顔で少し離れた場所から見学をしていた。
「わぁ。僕も混ぜてもらおうかなぁ!」
騒ぎを聞きつけたのか、魔術師長も温室横の草原にやってくる。
新鮮な尾の身は美味しいよねぇと、のんきに自分の欲しい部分だけを切り出して、若い騎士のひとりに野営用のかまどを石で組ませて、火を熾させた。
その場で食べる気満々で、鼻唄まじりで丁寧に下処理をしている。
「もう臭いが回ってますよ」
「大丈夫だよこのくらい。クセがある方が食欲増すしねぇ……気になるようなら……待っててごらん……」
手元に酒を呼び出してその場に置くと、機嫌良く師長は温室に走っていった。大きな葉を摘んできて、器用に入れ物を作る。
ついでに一緒に摘んだ香草もそこに放り込んだ。
「師長、ヒマなら搾油してくださいよ」
「えーやだよ、くさいよ」
「じゃあ骨採って下さい」
「つるつる滑って手を切っちゃうよ」
「何しに来たんですか、あんた」
「お肉を食べにだよぅ!」
「使えねぇな!!」
結局ビクターの指示の元、他にわらわらと集まってきた魔術師たちと一緒に、解体は進んだ。
日が暮れても賑やかに作業は続く。
良い服を着たままのリックは搾油作業でどろどろ、臭いも染み付いて、衣装を処分するしかなくなった。
若い騎士たちは穴掘りの後、使えない部分を今度は埋める作業をし、ぼろ雑巾のようになっている。
師長はお祭りみたいだねぇと笑って、酒と肉をみんなに振る舞っていた。
紺が滲むすみれ色を見上げて、ひと段落着いたビクターは、緑の絨毯の上にどさりと寝転ぶ。
「竜涎香は?」
「……無かった」
「なんだ、残念」
マリオンはその横にならんで腰を下ろす。
「胃の中は?」
「宝石がいくつかと……でっかい鉱石一個」
「豊作」
「まーね」
これあげると小石をふたつマリオンの手の中に放り込む。
摘んで上に透かすと、周囲の篝火を反射して石の中に白っぽい光が見えた。
頭の上の方にある星と同じ小さな光が瞬く。
「なんだ、それは」
当たり前のようにマリオンの横に座って、カイルもその石を見上げた。
「腹の中にあった宝石だよ……そうだ、そいつに研磨してもらえ」
「……別に」
「そうしよう……預かる」
半ばむしり取るようにして、カイルは石を自分の服に仕舞う。
「俺まだ仕分けする」
「ビクター……ちょっと」
「何だよ、お前らに付き合ってるヒマねーの」
勢いよく起き上がると、そのまま立ち上がって、賑やかな方に向かう。
「気を使わせたか」
「距離感保ってんの」
真っ白の手がふらふらと揺れて、ビクターは振り返りもせずゆったりと歩いていった。
「マリオン」
「……なんですか」
「話し方が戻ったな」
「…………いつもの調子だと舐められるんですよ」
「…………そうか……そうだな」
石牢から解体作業中の指示は、常に横柄な命令口調だった。
無理をしていたのではなく、戦場で、常に歳上に囲まれた若年の女性なら、そうせざるを得なかったのだと、カイルにもすぐにそれは察せた。
「マリオン、腹減らないか?」
「減りましたよ」
「やっと一緒に食事ができるな」
「…………なんですか、ひとりで食べられないんですか」
「マリオンと一緒じゃないと美味くないんだ」
「なんですか、それ」
「なんだろうな?」
夜より真っ黒のマリオンの髪が、篝火を受けて橙にちらちらと光って見える。
カイルはそのひと房を手に取って口元に持っていった。
「私は食べられませんよ」
「…………そうだった」
「肉をもらいに師長のところに行きますよ」
「…………うん、でももう少し休憩」
立ち上がろうとする手を取って引き、マリオンを座らせる。
「…………マリオン」
頬に手を当てて輪郭を指の背で撫でる。ついでに摘んでむにむにと揉んだ。
「ここは竜より美味そうなんだけどな」
「食べさせませんよ」
「食べないよ」
マリオンは眉をきゅっと寄せて、横にいるカイルに顔を向ける。
「カイル?」
「……なんだ?」
「なんだはこっちの言うことです。しっかりして下さいよ」
「何がだ」
きょとんとしか言いようのない顔をしているカイルと、正反対の表情したマリオンはしばし無言で見つめ合う。
昼間だと金に見えるカイルの瞳は、宵と篝火で透き通る茶に見えた。
軽くため息を吐き出すと、マリオンはカイルの左眼があったところに手のひらを当てる。
マリオンのおかげで痛みは引いていたが、無くなった訳ではない。
それがまた無痛に近い状態まで楽になる。
「カイル……見えない目で何を見ているんですか」
「マリオン?」
「貴方の見ているそのマリオンは、十五のマリオンです、私ではない」
「……今のマリオンは?」
「はい?」
「…………こんなに近くにいるのに、そうじゃないって言いたいのか?」
「……最初からです」
「……うん?」
「最初からそうですよ」
静かに微笑んでいる顔は、知っているあどけなさは一欠片も無かった。
学院にいた頃のマリオン。
離れている間にも心の中にいたマリオンも、今、目の前にいる大人びたマリオンも。
少し手を伸ばせば触れられる距離にいる。
「……最初から?」
「貴方は私を見ていない」
「そんなこと……」
「それに……カイルに私を見せたことなんて、一度もありません」
「マリ……」
「さあ、一緒に食事をしましょう」
この様子を遠巻きに見ていた誰もが、ふたりの睦まじさに関心を示した。
呆れたり、にやけた表情を浮かべる。
時を置かずに、騎士と魔術師の親密な関係の噂は、城の隅々にまで届く。