大胆不敵な魔女様は、悪役令嬢も、疑恋人だってできちゃうんです。
◇思い掛ける
燕草月 終二十一日
ビリー。
やっと一歩前進です。
長かった。
あとは違えないよう着実に、です。
鏡の前でくるりと回る。
リディアが嬉しそうに拍手をするから、マリオンは淑女の礼をして見せた。
「……狙い過ぎじゃないですか、コレ」
「狙って何が悪いの!」
「……まぁ、良いですけど。ローブでほとんど隠れるし」
「何言ってんの、ばさっと出して行くんだからね」
「ええええ……」
衣装は光沢のある生成色、カイルの眼の色に近い。衣装の縁に施された、少し明るめの糸の刺繍の方がもっと近いかもしれない。
ローブを羽織ると、いつかのように両端をめくって背後に回された。
前と同じ肩が丸出しの意匠だが、歳を重ねたせいで胸はそれなりの寸法になったので、こぼれ出たりしないように、しっかりと太いリボンで首の後ろに結えてある。
共布の長手袋を着けると、二の腕にある大きな傷が隠れた。
「カイルはここに迎えに来てくれるって?」
「いえ、あっちで待ち合わせです」
「なんだよー」
「なんだよって、なんですか」
「惚けたカイルが見たかったのにー」
身重のリディアは大事を取って、今夜の宴は夫だけの参加なのだと言う。
自分の衣装は必要ないので、リディアはマリオンのために全力を注いだのだと胸を張った。お腹の方が出ているが。
マリオンはそこをよしよしと撫でる。
「ここまでしてもらって、すごく助かりました」
「あーあー。残念……」
いつもはしない化粧も、リディアの侍女にしてもらう。
ついでに誰にも見えないであろう背中の傷にも粉をはたいて隠してくれた。
髪は結い上げるのも大変な長さなので、垂らしたまま。耳の上辺りを編み上げてきりとした雰囲気にしてもらう。
カイルが研磨に出して、作ってくれた耳飾りがよく見えるように。
透明に輝く小さな石は、銀の糸のような棒に掴まって、マリオンが動くたび繊細に揺れている。
如何にも狙ったようになりたくないので、髪に生花を飾るのは固辞した。
「地味!」
「充分ですよ、これで」
「……まぁね。マリオンはこれで充分綺麗だけどさ……でももったいないなぁ……もっと飾りたい」
主人の後ろで手伝いの侍女も大きく頷いている。
「宴っていっても、舞踏会じゃないんですよ。私は喪服で参加したいくらいなのに」
「……マリオン…………そうだよね、ごめん。無神経だった」
「リディアのそういう素直なところ、大好きですよ」
「やだもう、マリオン。私、今、情緒不安定なんだから……泣いちゃう」
「それは私が旦那さまに怒られてしまうので、我慢して下さいよ」
リディアはマリオンをぎゅうと抱きしめる。
ごめんねと小さく溢す背中をとんとんと叩いた。
「まぁ、私の活躍ぶりは旦那さまから聞いて下さい」
「活躍?」
「あの人も参列するって聞きましたから」
「あ……あいつか」
全部が中央に寄った顔を見て、マリオンは笑い声を上げながら、リディアの眉間を指で揉んだ。
楽しみにしてて下さいと、マリオンは転移門を開く。
「カイルにお礼をしに来いって」
「はい?」
「マリオンを美しく仕上げてくれてありがとうって」
「ふふ……伝えます。私も、ありがとうリディア」
「マリオンは良いの、お礼なんて」
リディアと小さく手を振り合う。
転移門をくぐって、迎えに来てくれると言っていた温室に出る。
カイルはその入り口で、すでに待っていた。
騎士の衣装には勲章が並び、地に届きそうなマントも、装飾の長剣も、立派としか言いようがない。
「…………くそ!」
「えええ? いきなりくそとか、どういう了見ですか」
「見惚れる自分に腹が立つ!」
「……リディアがお礼をしに来いって」
「当たり前だ!」
「……単純過ぎてびっくりしますね」
「……マリオン……」
「……おっと、ここでは止めて下さい。人目のある会場の方でお願いします」
マリオンは自分の腰に回った腕を、びしびしと叩いた。
一気に顔を顰めて、カイルは地を這うような唸り声を上げる。
合間に悪態も練り込んだ。
「さあ、どうします? 時間まで控えの間に居ますか? それとも庭をうろつきますか?」
「…………庭だ」
「はいはい」
差し出された腕にマリオンは掴まる。
ため息を吐いてゆっくりと歩き出したカイルに大人しく付いて歩いた。
「…………厄介だな」
「ここに来てそれ言いますか」
「俺の心の話だ」
「ああ……お察しします」
「……マリオンにだけは言われたくないな」
「それは失礼しました」
会場には呼び上げられる声と一緒に入った。
今回はすでに玉座にいる国王陛下と、その横に添うような王妃の前に歩み出る。
声をかけられて、カイルが当たり障りのない返答をし、過不足ない礼をふたり揃ってした。
楽しむようにと国王も王妃も満足そうに頷く。
次々と呼び込まれる声を聞きながら、ふたりは壁際に歩いていった。
一区切りあったのか、国王の戦勝の宣言を冷やかな思いで聞き、大いに喜び楽しむようにという言葉を聞いて、礼の形を取る。
マリオンは顔を床に向けたまま、小さく短かな息を漏らしていた。
虚構とまやかしだらけの、失笑必至、戦勝の宴が始まる。
カイルは周囲の卓を見回してマリオンに目を向けた。
「下見するか?」
「今日は食べ物はいいです」
「……どうした?」
「別に?……でも飲み物はいただきます」
薄く色付いた果実水を取って、マリオンに渡す。
あの時と同じように指で弾いて飲み物を冷たくした。
まだ少し幼いマリオンの影が重なって見える。
胸が締め付けられるような思いに、それをごまかそうと、カイルはマリオンに腕を回す。
背中を撫で下ろして、腰を抱いて身を寄せた。
「ああ……それは良い、良い調子ですよ」
すとマリオンの頬に口元を持っていき、小さな声で黙ってろと囁いた。
ついでに口付けておく。
マリオンは口の端を持ち上げて、返事の代わりにゆっくりと一度だけ目を瞬かせた。
どんなふうに扱われようと、好きなものは好きで、見惚れてしまうのは変えられない事実だ。
苛立たしさを奥歯を噛んで濁す。
辛い道を選択をしたのは他ならない自分。
失う後悔より、手を離さない後悔を選んだ。
慰るような手でマリオンはカイルの大きな傷を撫でる。
今度こそ痛みが完全に無くなって、全てが許されるような気になってくる。
そんなことは有り得ないと理解しているのに。単純な自分も憎らしい。
どすりと重たい音がして、マリオンはよろけ、カイルが受け止めてそれを支える。
前にも同じようなことがあったと、瞬時に顔を顰めた。
今回はグラスの中身は減っていたので、濡れはしなかった。
「失礼……あら、まあ。てっきり亡くなられたものとばかり」
「感心しますね、人にぶつかりながら足を踏むなんて、驚くほど器用なことをなさる」
「まあ、言いがかりはやめて下さらない?」
「踵を喰い込ませながら仰られても、説得力がありません……よ?」
大きく一歩下がるようにして、カイルはマリオンごと身を引いた。
「クラウチ夫人、もういい加減に控えて下さいませんか?」
「まぁ……これは騎士団長様。お久しぶりですこと。ご壮健のようで何よりです」
「彼女に構うのは止めて頂きたい」
「貴方も 私 を非難なさるのね」
「……もう学生のそれとは話が違います」
「存じております。 私 も大人になりましたもの」
「そうでしょうか」
「ええ、もちろん。そうだわ、団長様。私を踊りに誘って下さらない?」
「……まだ」
マリオンとも踊っていないと言う前に、くいと腕を引かれて、隣を見る。
殊ににこりと笑う顔を見て、マリオンの考えが分かった。
最初のダンスを正式な相手ではない者と踊る。それは無礼で恥ずべき行いだとされている。
片方は人の妻、もう片方はただ今『大きな隔たりを超えた大恋愛の最中』と噂の人物だ。
おまけに浅からぬ因縁もあると、派手な尾鰭も付いて回っている。
このために参列させたのかと、カイルは歯噛みする。
怒鳴り散らしたい衝動を必死で抑え、マリオンの為にと、全ての元凶、仇とも思える相手に手を差し出した。
「…………一曲、お願いできますか」
「もちろん、喜んで」
今はクラウチと家名が変わったオリビアが、少女のようにはにかんだ。
「マリオン……」
「どうぞ、楽しんで下さい」
カイルとオリビアが広間の中央に行くのを見送りながら、マリオンは反対に壁の方へ下がっていった。
噂とローブのおかげで誰からも誘われないのを良いことに、壁に貼り付いてほうと息を吐き出す。
遠く壇上にいる王妃がこちらを見ているのが分かった。
失礼にならないよう、目線は合わないようにしながら、小さく膝を折る。
王妃だけではなく、この場にいる大勢が自分を注視しているのは肌で感じていた。
カイルたちを見やって悲しげに微笑むのも忘れない。
「私と踊っていただけますか?」
差し出された手の持ち主を見て、マリオンは眉の両端を下げる。
「カイルに怒られるからやめときますよ」
「ええ? 人のこととやかく言える立場ですかっての」
「リック……あれは私がお願いしたんです」
「んまぁ、そうだろうと思ったけどさ」
小さく肩を竦めたマリオンの横に並ぶと、リックは壁に寄りかかって息を吐いた。
「リックも怒られますよ?」
「ん〜? 俺も怒られる立場じゃないもの」
「婚約者様は?」
「お友達と談笑中……マリオンとカイルの話で盛り上がってる」
「偵察してこいって?」
「そんなとこ」
「悲しみながらも健気に笑っていたとお伝え下さい」
「はは! 健気ね! ……分かった、任せて……そろそろ曲が終わるね……おっと?」
カイルはオリビアを伴って、広間を離れ、マリオンからも離れて露台の方に向かう。
「これは……穏やかじゃないですな」
「あっちにも偵察に行ったらどうです?」
「密偵は向いてないんだけどなぁ」
「おしゃべりだし目立ちますもんね」
「……そのこと」
「でも婚約者様は期待の目で見てますよ」
「…………そのこと」
我が婚約者に向かってにこりとし、手をひらひらと振る。
目であちらに、と合図しているのが分かって、リックもマリオンも小さく吹き出した。
「やれやれだな」
「仕方ないですよね、長きにわたる恋慕、その決着の時! ですから」
「あ……やっぱりそうなんだ?」
「確かに私の言動は腹立たしいでしょうが、それだけであんなに突っ掛かったりしませんよ」
「だよねぇ……あいつ気付くかな」
「さすがに本人から告白でもされたら分かるんじゃないですか?」
「わぁぁ……大丈夫かなカイル」
「何がですか?」
「自分のせいでマリオンが前線に……って考えて、どうにかなっちゃうんじゃないの?」
「いやそれとこれとは話が違いますよ」
「……ってマリオンは言うだろうけどさ」
「や、さすがに」
「無いって思いたいけどね」
「………………リック……」
「こっちもか……人使いが荒いな」
オリビアがひとり会場内に戻ったのを確認し、露台に残っているカイルの元へリックが向かう。
マリオンには王妃の近衛騎士が手を差し伸べる。気を回されているのは明白。
相手がいるのでと丁重にお断りした。
壇上の王妃、露台のカイル、壁際のマリオンと、広い会場内では、目紛しく視線と噂が行き来する。