大胆不敵な魔女様は、悪役令嬢も、疑恋人だってできちゃうんです。

◇恋する距離







燕草月 終二十三日


ビリー。


他人が良く見えるのは、自分じゃ自分のことが見え難いからなのでしょうか。

それとも自分の心の醜さばかりが見えて
他人の心を見ることができないからでしょうか。





温室に戻ったマリオンは、その内側に入った途端に、唸り声を漏らした。

水生植物を増やしたくて、池を広げるために、まずは水路を温室の中に引くつもりでいた。

地下から水を汲み上げて、ゆるく穏やかに温室内を巡って循環するように。
今は井戸のある場所から地道に手で運んでいるので、水路ができれば水やりもずいぶん楽になる。
そのうち池も広げて水を張れるようにと、温室内の詳細な図面を作った。

足の太さほどの水路を石で組み、その上に小さな橋を架けたり、場所によっては蓋をして新たに植物を育てようと予定している。


「帰ったな、マリオン」
「カイル……ええと……ビクター!!」

少し離れた場所で、水路になる溝の側面に石を組みながら、ビクターが気の抜けた返事をする。
固定させるとゆっくり立ち上がり、ふらふら歩み寄ってきた。

「なに」
「何はこっちの言うこと!」
「いやだってそいつが手伝うって言うから」
「ビクターの言う通りだぞ」
「溝掘るのめちゃくちゃ早いの。なんか上手いし、すげー面白かった」
「それでずっと笑ってたのか」

カイルは怒濤の勢いで溝を掘ったあとは、水路用に準備してあった石板をせっせと配置していた。
肩に担いでいた石を下ろして積み上げる。服の埃を払い、手袋を取って、これで万全の状態とばかりにマリオンを抱きしめる。

マリオンがもごもごと暴れて腕を突っ張ると、カイルは残念そうに離れていく。

「何してるんですか」
「仲良しを見せつける」
「今はいい! ……じゃなくて!」
「……はいはい。もういいよ、ありがと」

うるさいから出て行ってとビクターは手で払う仕草をする。

元々マリオンが戻ってくるまでという話で手伝いを申し出て、ビクターもそれならと了承した。
水路を作るにもカイルは十二分に役目を果たしている。

割った石板を持てるだけ抱えると、ビクターはまた作業に戻っていった。

「食事はしたのか?」
「向こうでいただきましたよ」
「……まぁ、そうか」
「カイルは食べてないんですか?」
「待ってるうちに時間を逃したな」

眉間にしわを寄せて、マリオンはカイルの手を掴んで引っ張った。
温室を出て、食堂に向かう。
騎士側とは違い、魔術師側は寝食を忘れるような不規則な生活をしている者が多いので、時間を問わずいつでもそれなりの食事が提供される。

それなりの食事を受け取って、食堂ではなく屋外に設えてある卓に行った。

昼と夕刻のちょうど間のあたり、空気は少し黄色みが強くなっていた。

「仕事はどうしたんですか」
「今日は非番にした」
「……身勝手な長では部下が離れてしまいますよ」
「心配ない……俺が休むと言ったら喜んでいたな。マリオンはどうだった?」

カイルが温室を訪れたのは昼時の少し前。
入れ違いで出て行ったとビクターはすんなりと教えてくれた。

現れたのは王妃の使い、近衛を任されている騎士。
殿下がお呼びだとわざわざ迎えにやって来た。

中央といえ、王宮からの呼び出し。剣呑な空気は無さそうで、ビクターも今回はのほほんとした態度だった。


「王妃様の私室にご招待ですよ」
「うん、それは聞いた。どういった用向きでいらしたんだ?」
「噂の真偽についてです」
「うわさ……?」
「はい、私とカイルの」
「…………どんな?」
「え? 知らないんですか?!」
「……うん」
「……私たち、時間と距離を越え、しかも騎士と魔術師の隔たりをも越えた大恋愛の真っ最中なんですよ」
「大恋愛?」
「そうです、勇猛な騎士と可憐な魔術師の恋物語……王城ではこの話題で持ち切りです」
「ゆうも…………可憐? ……そ、れで。なんと答えたんだ」
「否定はしませんでした」
「そ……そうか」
「本当にこの噂知らなかったんですか?」
「ああ」

一度口を開きかけ、少し考えるためにマリオンは額に手をやった。

どう説明するべきかとほんの少し悩んで、すぐに考えるのをやめる。

カイルが噂を知らないならと言葉は選ばないことにした。

「…………カイル。私が言うのもおかしいですけど、もっと周囲から情報を得るようにした方が良いですよ」
「……そうだな」
「あともう少しでいいんで、周りにどんなふうに見られているかも気にして下さい」
「身形には気を付けてるぞ……まぁ、ある程度はだが」
「あぁ……じゃなくて。女性からどう思われているかですってば」
「どう思われて?」
「カイルは女性から好まれやすいって自覚が足りませんよ」
「好まれる自覚……必要か? それは、あればあるほど気持ち悪くないか」
「……うーん、言いたいことは分かりますけど。まぁ、気にしないところがカイルの魅力ですかね」
「マリオン?」
「醜聞には関心が無いところ、私は好きですよ」
「……これが……好まれた自覚か?」
「……そこだけ拾いますか」

カイルは向かい側に手を伸ばして、マリオンの黒髪をひとふさ掬い上げる。手の中で弄んでから、するするとした感触を親指で楽しんだ。

いつもなら摘む頬もそっと撫でて、輪郭を指で辿る。

「……見られてますよ?」
「それがなんだ」

マリオンは少し首を傾げて、目線だけを周囲に向けた。

「噂が真実味を濃くする一方です」
「そう仕向けたいんだろう?」
「そうですけど」
「こんなにまわりくどいことをしなくても、復讐ならもっと楽な方法があるだろう」
「復讐? それは違いますよ」
「俺にひと言、首を差し出せと言えば、それで済むのに」
「首? そんなもの要りません。欲しけりゃ自分で取りに行きます……大体、誰の首ですか」
「俺だ」
「カイル?! ふっ……どうして……ふふ……なんでそうなるんですか?」

堪えようと我慢して、両手で顔を覆ったが、とうとうマリオンは声を上げて笑いだす。
なかなかおさまらないのをカイルは根気強く待った。

「俺の思いを確かめた上で利用すると言ったり、昨夜もクラウチ夫人に最初のダンスを譲ったり…………待て。目的は夫人の方か」
「普通ならまずそっちを先に考えますよね」
「そうなのか」
「どう思います?」
「マリオン」
「明日もお約束があるんですよね」
「王妃殿下と?」
「はい、お呼ばれしてます」
「明日は何を」
「なんでしょう、今日は学院時代のことを散々お話したので、昨夜の宴でのことですかね……カイル」
「……なんだ」
「辛いならやめましょうか」
「何が言いたい」
「カイルが復讐されてると考えてしまうなら。そこまで苦しい立場に置いている気はありませんでした……それは私も本意ではありませんし」
「違う……待ってくれ」

確かに辛いしもどかしい。
でもそれを軽く越えられるほど、今のこの時間すら、大切にしたくなる。

マリオンの些細な仕草や、僅かな表情の変わりようも、ずっと見ていたい。
息づかいを感じられるほど側にいたい。

上手くそれを言葉に出来ないことが歯がゆい。

「俺は……マリオンが好きで」
「はい」
「全部を飲み込んででも、一緒にいたい……と、思っている」
「そうですか」
「そう簡単に、じゃあ止めるとはならない……マリオンは違うのか」
「……簡単ではありませんけど」
「できるのか」
「できますね」
「…………くそ……本当にくそだな!」
「知ってます」

考えが判らない部分は厄介この上ないのに、さっぱりとした気風も物怖じしない性質も好まし過ぎる。

不敵に微笑んでいる顔さえかわいいと思ってしまうのだから、相当な重症だ。

「なぜ俺なんだ……ただの噂の相手ならリックやビクターでも良かっただろう」
「そうですね。リックならもっと関心を煽れますし、ビクターは……無理ですね。利点が少な過ぎ……る……ちょっと待って下さい、順番がおかしい」
「何がだ」
「カイルが先ですよ」
「うん?」
「カイルの周りを気にしない行動がこの噂の元です。私はそれに乗って利用しているだけですよ」
「そうなのか?」
「噂に関心が無い人だった!……危うく私が全面的に非を認めるとこでした」
「どちらに非があるかの話は……して……るな。責めてるな……そんなつもりはなかった。すまない」
「カイルのそういう、素直で人が良いところも好きです」
「…………好きって言葉でごまかそうとしてないか? しかも良い人じゃなくて、人が良いって、馬鹿で扱いやすいという意味だな?」
「……バレた。馬鹿ではないと証明されましたね」

卓に両手を突き、カイルは勢いよく立ち上がる。

自分を落ち着けようと目を閉じて、大きく息を吸って吐き出し、マリオンを睨むように見下ろした。

微笑んだまま、真っ直ぐ見返してくるマリオンに苛立つと同時に、肝が座った態度に、腰の後ろがぞくりと粟立つ。

「腹が立って殴り倒すところだぞ、ここは」
「あぁ……それはまだ後に回してもら……」

逃げないように首を押さえて、口付けをする。

至近距離にある、マリオンの湖の底の色をした瞳に引き摺り込まれるような気がして、カイルの方が堪らず目を閉じた。

角度を変えようと一旦離れると、僅かな隙間にマリオンの手が差し込まれる。

「長いですよ」
「だから?」

手首を握って下ろして、カイルは思う通りにした。

衝動で動いたことを、後悔はしないだろうが、気まずくなるだろうなと、最中から考え始めて、見事にその通りになった。


マリオンの言った通り、周囲の噂を気にしてみると、すぐに自分の耳にも届いてきた。
ちょっとした事実に見事に尾鰭が付いてごてごてと着飾ったようだった。

噂なんて録でもないと、すぐに気にするのを止める。



その日以来、マリオンは何かと王妃から呼び立てられ、話し相手になることが増えた。

最初のきっかけはふたりの大恋愛の真相だったが、今の話題は多岐に渡る。

年代も近く、若い王妃なので、恋の話はちょくちょく持ち出されるが、それは誰のどのような恋の話でも喜んだ。

王妃は他国から来た姫君。
これまで限られた範囲でしかものが見られなかったのだから、自分のような存在は新鮮で興味深かいのだろうと、マリオンはカイルにだけ私見を話した。



その間もカイルは決まったように昼時になれば食事に誘うし、手が空けば温室の改善を手伝う。

夜会に呼ばれればマリオンを誘って出かけもした。


噂はカイルの実家にまで届いたらしく、兄や姉から、まだ会わせる気はないのかと手紙が届いた。


人が暴れていればカイルが先頭に立って討伐しに行き、魔獣が暴れればマリオンが先頭に立って殲滅する。

益々話題に上って、ふたりの大恋愛を揶揄する者は口を閉じるしか無くなった。


公私ともに順調としか言い様がなくなってくる頃、リックの強い後押しで、カイルは一団の長から、その長をまとめる師に昇格された。

師の中では最年少だが、実力と人柄で、師長になる日もそう遅くなくやって来るだろうと目されている。

マリオンは半年の時間をかけて、温室を思うように改良できたと満足そうに笑う。
どうだと自慢しながらカイルを引っ張って案内した。

そのあまりの可愛さにむぎゅむぎゅに抱きしめても、怒って腕を突っ張らない。
口付けも止められることがなくなった。



リックとリディアはこっそりと、お披露目会でする友人代表の挨拶を、頼まれてもいないのに準備した。

その直後にリディアは無事に出産、元気な女の子の世話を、持ち前の根性で乗り切ってやろうと奮闘の日々を送っている。




季節は冬の足音が聞こえそうなほど。

落ちた枯れ葉が地面を覆い、朝露はその上を真っ白く染めようとしている。









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