若女将の見初められ婚
全ての機材の撤収が済み、スタッフさんとモデルさんたちを見送っていると、理沙さんがやってきた。
「今日は本当にありがとうございました」
理沙さんが来てくれたお陰で、撮影が予定通り終わった。本当に助かったのだから、きちんと感謝しないといけない。
私は、結婚後身につけた所作で、最敬礼のお辞儀をした。
若女将としてのプライドだ。
「あなた、『たちばな』のお嬢さんなのね。橘さんとは、今回の写真集で一緒に仕事をしているの。だから、先日お会いしたわ」
突然、父の話をされたので驚いて顔を上げる。
「橘さんがジンと仕事をすることになった経緯も聞いた。あなた達、政略結婚なのね」
政略結婚?
そんなこと考えたこともなかった。
「ジンはハッキリとは言ってなかったけど、『たちばな』に資金援助してるんでしょう?大変なお荷物を背負ったものね。
まあ、橘さんは腕のいい職人みたいだし、ジンにもメリットはあったんでしょうけど。
その契約のおまけに、女将に向いてそうなあなたを貰ったってとこかしら」
理沙さんは、馬鹿にしたようにフフっと鼻で笑った。
カッと頬が熱くなる。
「女将は店を支える裏方になるから、あなたみたいな地味なタイプがぴったりなのかもね。
ジンも結婚は愛情の有無じゃなく、女将を雇うつもりで割り切ったようだし。
私は、一線で働きたいから、そういうのには向いてないわ」
肩をすくめるポーズが、撮影の一コマのようだ。
「まぁいいんじゃない、あなたが若女将で。
着物は着なれてるだろうし、今日見た感じでは雑用は得意そうだし。
私は結婚なんて望まないから。ジンと適当に遊ばせていただくわ」
何か言わねばと思ったが、何も返すことができない。
そこへ、しの君がやってきた。
「理沙。今日はほんまに助かった。仕事、途中から休みにさせて悪かったな」
理沙さんを見る眼差しに、特別なものがあるような気がするのは、私の僻みなんだろうか。
「いいのよ。他ならぬジンのお願いなんだもの」
甘えるように言う理沙さんが、しの君の腕に手をかける。
「送っていく。途中で飯でも食うか」
しの君が握っている車の鍵がチャリンと音を立てた。
「嬉しい!前によく行ってたお寿司屋さん、久しぶりに行きましょ。大将にも会いたいし」
そのまま、しの君の腕に手を絡めるようにして、理沙さんは促した。
「そうするか。じゃあ行こか。」
しの君は、自然な手つきで理沙さんの背中を押す。行きかけて何かを思いついた様に振り向くと、私に言葉をかけた。
「志乃、片付け頼むで」
私が何か発する前に、二人は出ていってしまった。
体が覚えているのだろう。
しの君は自然に理沙さんをエスコートする。二人がかつて一緒に過ごした時間があったことを、痛切に感じさせた。
思わず立ち尽くす。
何も言えなかった自分が悔しい。
せめて、女将の仕事はお店を支える裏方の仕事だけではありませんと言うべきだった。尊敬する女将さんのためにも。
涙が滲みそうになった。
その時、突然後ろから、肩をガッと掴まれてびっくりする。
慌てて、後ろを振り返ると般若のような顔をした女将さんがいた。
「くそーっ。腹立つなぁ!
志乃ちゃん、早く片付けてご飯食べに行くでっ。敵が寿司なら、こっちは肉やっ!!」
「「『志乃会』を敵に回したら恐いということを思い知らせたるっ!」」
頼朝先生たちも続いた。
私は泣き笑いの顔で、「はいっ!」と返事をした。