卒業
9月1日がやってきた。
夏休みが終わり、学校がまた生徒たちの声で賑わう。
始業式のあと準備室で授業の準備をしていると、
部屋の扉がノックされた。
「どうぞ。」
私が声を掛けると扉が開かれ、そこにいたのは…。
「平野くん!」
制服姿の平野くんが立っていた。
「おはよう、先生。」
平野くんは微笑んで言った。
久しぶりに学校で見る平野くんの姿。
ものすごくうれしくて、私は彼に駆け寄った。
「おはよう!よく来たね。」
「高木先生のおかげだよ。
夏休みの間毎日勉強を教えてくれて、だいぶ自信がついたし。
それに…先生の顔が見たかったから。」
思いがけない一言に、胸が震えるのを感じる。
どうしてだろう。
ときめいてしまう自分がいる。
「私の?」
「そうだよ。」
あれ?このやり取り、なんだかデジャヴ?
私は頭の中の過去の引き出しを漁ってみた。
「先生が前、俺に言ってくれたよね。
“俺の顔が見たい”って。だから毎日家まで来るんだって。」
そのとき、予鈴が1限目の始まりを予告した。
「教室に行きます。あ、もし時間あったら放課後…。」
「うん。一緒に勉強しよう。」
私が言うと、平野くんはうれしそうに教室へ向かって行った。
放課後、私と平野くんは誰もいない教室で勉強をしていた。
「どうだった?久しぶりの学校。」
休憩を取りながら私は尋ねてみた。
窓から見える空は綺麗なオレンジ色。
夕陽に染まる教室は、なぜかノスタルジーを感じさせる。
「楽しかったよ。意外と。」
「本当?」
「やっぱり人付き合いは苦手だけど、でも高木先生に会えたから。
英語の授業も受けられたし。
本当に、先生のおかげだって思う。」
「平野くんが自分でがんばったんだよ。」
「先生のおかげでがんばれたんだよ。」
「私はただ、平野くんの背中を少し押しただけ。」
「それが俺の大きな力になったんだ。」
平野くんはまっすぐ私を見つめる。
その顔がすごく真剣で、私はつい目を逸らしてしまった。
それは、数日前に見た夢を思い出してしまったから。
平野くんに、キスをされる夢。
生徒とキスするなんて、
どうしてそんな夢を見てしまったんだろう。
私はその記憶を振り払った。
「再開しようか、勉強。」
「…うん。」
次の日もその次の日も、
平野くんは毎日学校に来るようになった。
放課後は毎日一緒に勉強をした。
以前から思っていたけど、彼の飲み込みは早くて、
残暑が終わる頃には授業に追いつきそうだった。
そして秋風が涼しい日のこと。
「よし、これでやっと授業に追いついたね。お疲れ様!
今日はね、がんばったご褒美にお菓子を作ってきました!」
「えっ。先生の手作り?」
「そうだよ。クッキーどうぞ。お口に合うと良いのですが。」
平野くんはうれしそうにクッキーを手に取り、口に運んだ。
「おいしい!」
「よかった。」
「先生…。」
「なぁに?」
「5教科全て、授業に追いついたね。」
「この短期間ですごいよ。がんばったね。」
「もう、先生との勉強は終わり?」
平野くんは手に食べかけのクッキーを持ったまま、
悲しそうな顔で私に尋ねた。
「ひとまずは終わりかな。
でもわからないところがあったら、いつでもおいで。」
平野くんが俯く。
「俺は…。」
クッキーを持つ平野くんの手が、微かに震えている。
「俺は先生と勉強したくて学校に来てるんだよ。
先生の顔が見たくて学校に来てるんだ!」
突然大きな声で言われて、私の身体は硬直してしまった。
何か言わなくちゃ。でも言葉が見つからない。
しばしの沈黙のあと。
平野くんの顔が至近距離に来たと思ったのも束の間。
唇に温かいものが触れてすぐに離れた。
何が起きているのか、すぐには理解できなかったが、
やがて以前の夢の記憶が思い起こされた。
「正夢…。」
「え?」
「夢見たの。平野くんにキスされる夢…。」
私は小さく言った。
「夢じゃないよ。現実だよ。
俺の家で一緒に勉強してたとき、
先生が寝ちゃったからその唇にキスした。
さっきので、2回目のキスだよ。」
私の鼓動は割れそうなほどにドクドクと高鳴っていた。
平野くんとの様々な記憶が思い起こされる。
徐々に近づいていく、彼との距離。
私は、彼の開けてはいけない扉まで開けてしまったのだろうか。
「3回目してもいい?」
平野くんの顔が再び近づく。
夕陽のオレンジと影のコントラストのせいか、
彼の表情がいやに色っぽく見えた。
「だめ!!」
私は思わず平野くんを突き飛ばしてしまった。
彼は目を丸くしている。
「…終わり。勉強終わり。気をつけて帰ってね。」
私は手早く机の上を片付け、教室を後にした。
平野くんが私を呼び止めたけど、無視をした。
その日を境に、私たちはほとんど会話をしなくなった。
教室で顔を合わせるたび、廊下ですれ違うたび、
平野くんは何か言いたげな表情を見せるが、
気づかない振りをした。
そして、卒業の日が刻々と近づいていった。
卒業式前日の放課後。
結局この日まで、平野くんとはろくに会話をしていない。
明日は卒業式で、これから大学入試も控えているのに。
でも、どうやって接したらいいかわからない。
このままじゃダメだってことはわかってる。
私自身、このまま終わりたくない。
それは、平野くんが大事な生徒だからというだけではなく、
きっと私が平野くんのことを…。
夏休みが終わり、学校がまた生徒たちの声で賑わう。
始業式のあと準備室で授業の準備をしていると、
部屋の扉がノックされた。
「どうぞ。」
私が声を掛けると扉が開かれ、そこにいたのは…。
「平野くん!」
制服姿の平野くんが立っていた。
「おはよう、先生。」
平野くんは微笑んで言った。
久しぶりに学校で見る平野くんの姿。
ものすごくうれしくて、私は彼に駆け寄った。
「おはよう!よく来たね。」
「高木先生のおかげだよ。
夏休みの間毎日勉強を教えてくれて、だいぶ自信がついたし。
それに…先生の顔が見たかったから。」
思いがけない一言に、胸が震えるのを感じる。
どうしてだろう。
ときめいてしまう自分がいる。
「私の?」
「そうだよ。」
あれ?このやり取り、なんだかデジャヴ?
私は頭の中の過去の引き出しを漁ってみた。
「先生が前、俺に言ってくれたよね。
“俺の顔が見たい”って。だから毎日家まで来るんだって。」
そのとき、予鈴が1限目の始まりを予告した。
「教室に行きます。あ、もし時間あったら放課後…。」
「うん。一緒に勉強しよう。」
私が言うと、平野くんはうれしそうに教室へ向かって行った。
放課後、私と平野くんは誰もいない教室で勉強をしていた。
「どうだった?久しぶりの学校。」
休憩を取りながら私は尋ねてみた。
窓から見える空は綺麗なオレンジ色。
夕陽に染まる教室は、なぜかノスタルジーを感じさせる。
「楽しかったよ。意外と。」
「本当?」
「やっぱり人付き合いは苦手だけど、でも高木先生に会えたから。
英語の授業も受けられたし。
本当に、先生のおかげだって思う。」
「平野くんが自分でがんばったんだよ。」
「先生のおかげでがんばれたんだよ。」
「私はただ、平野くんの背中を少し押しただけ。」
「それが俺の大きな力になったんだ。」
平野くんはまっすぐ私を見つめる。
その顔がすごく真剣で、私はつい目を逸らしてしまった。
それは、数日前に見た夢を思い出してしまったから。
平野くんに、キスをされる夢。
生徒とキスするなんて、
どうしてそんな夢を見てしまったんだろう。
私はその記憶を振り払った。
「再開しようか、勉強。」
「…うん。」
次の日もその次の日も、
平野くんは毎日学校に来るようになった。
放課後は毎日一緒に勉強をした。
以前から思っていたけど、彼の飲み込みは早くて、
残暑が終わる頃には授業に追いつきそうだった。
そして秋風が涼しい日のこと。
「よし、これでやっと授業に追いついたね。お疲れ様!
今日はね、がんばったご褒美にお菓子を作ってきました!」
「えっ。先生の手作り?」
「そうだよ。クッキーどうぞ。お口に合うと良いのですが。」
平野くんはうれしそうにクッキーを手に取り、口に運んだ。
「おいしい!」
「よかった。」
「先生…。」
「なぁに?」
「5教科全て、授業に追いついたね。」
「この短期間ですごいよ。がんばったね。」
「もう、先生との勉強は終わり?」
平野くんは手に食べかけのクッキーを持ったまま、
悲しそうな顔で私に尋ねた。
「ひとまずは終わりかな。
でもわからないところがあったら、いつでもおいで。」
平野くんが俯く。
「俺は…。」
クッキーを持つ平野くんの手が、微かに震えている。
「俺は先生と勉強したくて学校に来てるんだよ。
先生の顔が見たくて学校に来てるんだ!」
突然大きな声で言われて、私の身体は硬直してしまった。
何か言わなくちゃ。でも言葉が見つからない。
しばしの沈黙のあと。
平野くんの顔が至近距離に来たと思ったのも束の間。
唇に温かいものが触れてすぐに離れた。
何が起きているのか、すぐには理解できなかったが、
やがて以前の夢の記憶が思い起こされた。
「正夢…。」
「え?」
「夢見たの。平野くんにキスされる夢…。」
私は小さく言った。
「夢じゃないよ。現実だよ。
俺の家で一緒に勉強してたとき、
先生が寝ちゃったからその唇にキスした。
さっきので、2回目のキスだよ。」
私の鼓動は割れそうなほどにドクドクと高鳴っていた。
平野くんとの様々な記憶が思い起こされる。
徐々に近づいていく、彼との距離。
私は、彼の開けてはいけない扉まで開けてしまったのだろうか。
「3回目してもいい?」
平野くんの顔が再び近づく。
夕陽のオレンジと影のコントラストのせいか、
彼の表情がいやに色っぽく見えた。
「だめ!!」
私は思わず平野くんを突き飛ばしてしまった。
彼は目を丸くしている。
「…終わり。勉強終わり。気をつけて帰ってね。」
私は手早く机の上を片付け、教室を後にした。
平野くんが私を呼び止めたけど、無視をした。
その日を境に、私たちはほとんど会話をしなくなった。
教室で顔を合わせるたび、廊下ですれ違うたび、
平野くんは何か言いたげな表情を見せるが、
気づかない振りをした。
そして、卒業の日が刻々と近づいていった。
卒業式前日の放課後。
結局この日まで、平野くんとはろくに会話をしていない。
明日は卒業式で、これから大学入試も控えているのに。
でも、どうやって接したらいいかわからない。
このままじゃダメだってことはわかってる。
私自身、このまま終わりたくない。
それは、平野くんが大事な生徒だからというだけではなく、
きっと私が平野くんのことを…。