ひと雫ふた葉 ーprimroseー
「あれは……!」
────間違いない。
瞬きの間しか見えなかったけど、それは確かに〝糸〟だった。
雨香麗は生きてる。まだ、戦ってたんだ……!
雨香麗の周りの靄は外の暴雨と合わさって激しさを増す。耳元に響くやつらの雄叫びや風の音に負けないよう、大声で徳兄を呼んだ。
「徳兄!! 雨香麗はまだ生きてる!」
「はぁ!?」
「〝糸〟が見えたんだ! まだ助けられる!!」
「助けるったって、どうすりゃ……!」
「呼びかける!」
「おま……!!」
後ろで「んな無計画な!」と叫ぶ徳兄の声が聞こえたけど、俺は信じてる。雨香麗を信じてるから、呼びかけるんだ。
一歩、また一歩と雨香麗に近づくにつれ、ぼんやりと聞こえていた声がはっきりと聞き取れる。
『憎い。許せない。殺したい』
繰り返されるその言葉に胸が軋む。
つらかったよな……。
独りで抱え込んで、誰にも話せなくて、吐き出す場所もなくて。その矛先を自分に向けた結果がこれだ。
もう、もういいんだよ。
「雨香麗、もういいんだ。終わりにしよう? 殺すなんて、そんなのまた憎しみを生むだけだ」
精一杯の想いを込めてそう言った時、やつらの中にいる雨香麗と目が合った。その表情は今にも消えてしまいそうなほど儚い。
雨香麗は泣き出しそうな顔をしながらそっと左手を持ち上げる。俺も手を差し出すと雨香麗はしきりに首を横に振り、口元を動かす。
〝に・げ・て〟。
そう読み取れた途端、体は黒い靄に捕まれてしまう。すぐに淡い光が俺を包もうとするものの、それよりも早く靄は俺の体を呑み込んだ。
「柴樹!!!」
徳兄の叫び声を最後に、俺は靄の中にいた。靄の中は水中のように息をすることができず、それなのに泥のようにまとわりついてくる。
目の前に雨香麗がいるのに、どんなに手を伸ばしても次々と入り込む死霊達に阻まれてしまう。だんだんと目の前が霞み、伸ばす手にも力が入らなくなる。
瞼の裏に悲しげな顔をする雨香麗が映った────。