戀を手向ける
海には入らずに、飽きることなく、何時間も移り変わる景色を眺めた。
「次倒れたら、危ないんだって」
絵本を読むような口調。
「そっか」
「うん。でも未練はもうないよ」
清々しいな。
俺のほうがずっと、情けないと思う。闘って、つらい思いを何度もして、くるしい治療に耐えて、いつか迎えるものの影に怯えながら、それでもなんでも楽しもうと、なんでも好きになろうと、どんな時でも笑っていようと藤宮守寿はしているのに、俺はそれのひとつもわかってやれない。
未練はない、なんて言うなよ。
いくつあっていいじゃねえかよ。だって、この手はあたたかい。
藤宮守寿は砂浜から立ち上がった。
今朝お気に入りだと紹介してくれた青いワンピースは、たぶん夏用で。今はコートを羽織っているから裾しか見えなくて、可哀想だと思った。
「直矢くん、知ってる?この世の生物はみんな海から生まれたんだって」
絵本なんかじゃない。
藤宮守寿という、俺の好きな人の、本当の話。
「だからわたしね、死んだら海に還るって決めてるの」
初めて会った頃からなにひとつ変わらない、自信満々の笑顔。
自分の言うことは正解。
それくらい、周りのひとを信じきれる藤宮守寿のこと、誰よりもすげーやつだと思っている。
俺にも、誰にも真似できない、彼女だけの生き様。
──── 死ぬなんて言うなよ。
そんな水を差すようなことは言えるわけがなくて。
水面が揺れた。
きらきらとした波が押し寄せると同時に、風が強く吹く。
いつものように目を閉じた彼女のくちびるに、自分のそれを重ねた。
さっきよりも、たぶん今までで一番の仕返しだったと思う。
成功だった。
顔を赤く染め、泣いて笑っていそがしい藤宮守寿。
それが俺が最後に見た、一番のきみらしい表情だった。
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