戀を手向ける
最後にふたりで出かけた海へ向かう電車のなかで、「お金ひとりぶんで済むね」と笑った。
こっそり耳打ちしてきたけど、どんなに大きく喋ってももうこの声は周りに届かないと思うと、なんてたとえたら正解なのかわからない気持ちになった。
「海水浴してるひといないねえ」
「こんな汚え海じゃ誰も泳がねえだろ」
「そうかな?わたしはここの海好きだよ。特別感のうすーい海って感じ」
「けなしてる?」
「ちがうよー。一番身近な海。直矢くんもそう思うでしょ」
よくわからないけど頷いとく。同調しないとしつこく説得してこようとするからめんどくさい。
「だけど、好きな理由はそれだけじゃないよ」
手、繋ぎたいな。
あたたかくても、そうじゃなくても、どっちでもいいから。
「直矢くんとの思い出の場所」
「そんなんいっぱいあるだろ」
「そうだけど、でもちゅーしたのはここだけでしょ」
いたずらが成功したときのような、無邪気な笑顔でこっちを向く。こいつ、本当に嫌だ。
無視をしようと決め込むと、彼女もべつに気にしてない様子で青いワンピースの裾をまた返す。
「ねえ、本当は、直矢くんのせいじゃないと思う」
横顔にまつげの影が落ちる。幽霊でも影はできるんだな。ドラマや映画をつくる人に教えてやりたい。
…なんて。
誰にも教えたくない。
人気者だった風紀委員が俺にくれたもの全部。
誰にも教えない。
贅沢なくらい、俺だけの、きみ。