もふもふ後宮幼女は冷徹帝の溺愛から逃げられない ~転生公主の崖っぷち救済絵巻~

第二話:黎明の寵妃の秘密

 黎明(れいめい)と同衾(どうきん)をはじめて早三日、日が顔を見せるまでわずかの時間、愛紗(あいしゃ)は子猫の身体をくねらせる。
 
 黎明の手は巧みで、猫の身体を好きに扱う。
 
「なんだ、ここが気持ちいのか?」
 
 寝起きの艶のある声で囁くと、猫の首に指を這わせる。優しくもまれるように触られれば、愛紗はもう適わない。つい、声を上げてしまうのだ。
 
「みゃあ」
「気持ちいいか。それはよかった」
 
 優しく頭を撫でられるだけで胸の中の幸福が膨らむのは、猫ゆえか。こんなにも黎明が撫での達人だと、愛紗は知らなかった。
 
 愛紗はこの三日、暗殺者から黎明を守っては猫の姿に変化して、朝議(ちょうぎ)の前まで彼の手でこねくり回される毎日を送っている。
 
 いまだ暗殺者の正体はわからない。はやく捕えるか退治し、この歪な関係を終わらせねばと思っているのだが、あと一日くらいはいいのではないかと思ってしまう愛紗がいた。
 
「さて、そろそろ時間だ。猫よ、愛紗に今度は朝餉(あさげ)をともに食べようと伝えよ」
「みゃあ~」
 
 それは難しい。なぜなら、仙術を使わなければ敵を撃退することができず、そうすれば猫に変化してしまうからだ。
 
 愛紗の気持ちは全く伝わらなかったのか、黎明は「よしよし」と猫の頭を撫でるばかり。その手つきも毛並みを確かめるような優しいもので、ついうっとりと目を細めてしまう。
 
 このままでは目的を果たす前に駄目猫になってしまう。愛紗は小さな手で頭を抱えた。
 
「陛下、そろそろ朝議のお時間でございます。皆様お集まりで……」
 
 太監(たいかん)の如余(じょよ)が控え目に寝所を覗く。如余の顔を見て、黎明は柔らかい笑みを引き締めた。
 
「猫よ、また好きなときに遊びにくるといい」
 
 彼はそれだけ言うと、如余とともに寝所から消えていった。猫が部屋を出られるように、扉にわずかな隙間を開けて。
 
 愛紗はその隙間から寝所を出る。昨日は朝議(ちょうぎ)をのぞきに行ったのだが、治水がどうだと難しい話ばかりでつまらなかった。つい、二度寝をしてしまい、十然(じゅうぜん)を心配させたので、今日はまっすぐ帰ることにする。
 
 今日は朝から天気がよく、ひなたぼっこにはちょうど良い。黒の毛は太陽の熱を集め過ぎるから、昼間は危険なのだ。
 
 この三日で愛紗と黎明、猫と黎明はそれぞれの形で打ち解けているように思う。その証拠が愛紗と猫にしか見せない温和な笑みだ。黎明のことを「冷徹帝(れいてつてい)」と呼び始めた者に見せてあげたい。その者がこの顔を見れば口をあんぐりと開け、一刻は仕事がままならなくなるだろう。
 
 後宮の奥に追いやられた先帝の妃たちが再起をかけてすり寄ることを決めてもおかしくない笑みだ。
 
 しかし、愛紗はこの笑みがたまらなく怖かった。
 
 忘れてはいけない。愛紗の運命録(うんめいろく)に書かれた死因を。
 
『皇帝の命令により刺殺』
 
 運命録は人間の一生が記されている。普通の人間であれば、絶対に変わらない運命だ。しかし、それを管理する仙界の者が関わった途端、簡単に書き換わってしまう。愛紗に関わる黎明の死が毎日先延ばしされるように、仙(せん)の記憶を持つ愛紗自身の運命も毎日更新され続けているであろう。
 
 そして、その運命録は残念ながら仙界(せんかい)にあり、簡単に覗くことはできない。
 
 ――こんなことなら、二人分の運命録を持ってきてもらえばよかった。
 
 しかし、二冊の運命録を所望していれば、十然でも三日では間に合わなかっただろう。それくらい管理が厳しいのだ。
 
 自分の身可愛さに黎明から逃げれば、彼の命が危うい。彼を守れなければ、愛紗は大仙(たいせん)には生涯なれないのだ。だが、彼の命を優先させ、自身の運命を軽んじれば、黎明よりも先に死ぬことになる。そうなれば、彼を老いるまで導けない。
 
 なんと難しい試験だ。
 
 これ以上、黎明との仲を縮めてはいけない。そろそろ鬼の正体を見破らないと。ぐるぐると考えごとをしていると、雛典宮(すうてんきゅう)に辿り着く。
 
「おかえり、姫さん。今日もうまくやれたようでよかったな」
 
 十然はいつものように笑顔で迎え、愛紗を抱き上げた。彼は黎明とは違って猫の扱いが下手だ。伸びる身体を揺らして抗議するが、理解できないのかニコニコ笑うだけだ。
 
「みゃあ~」
「はいはい。二度寝だろ。寝所に連れて行ってやるよ」
 
 文句を言うだけ無駄だとわかっている。愛紗は不承不承彼の腕で丸くなった。
 
「あら、十然。また猫を抱いて」
 
 雛典宮で働く女官の一人が十然に声をかける。彼女は箒(ほうき)を手に、朝から掃除をするようだ。
 
「愛紗様は本日も遅いのかしら?」
「いつも昼近くまで陛下のところで眠りますから。そうでしょうな」
「本当に陛下のことがお好きなのね」
 
 十然はしれっと嘘をつく。腕の中にいる猫が愛紗であるとは言えない。しかし、三刻ものあいだこの後宮から幼子(おさなご)消えたとあっては大惨事になる。だから、十然は雛典宮の者には「昼まで陛下のもとにいる」といい、陛下に近しい者たちには「夜明け前にもどってきて、寝所で眠っている」と答えていた。
 
 今のところ誰も疑ってはいないようで、納得している。とはいえ、こうも毎日だといつか露見するのではないかと気が気ではない。
 
 暗殺者の正体を一刻も早く見つけなければならないと愛紗は思った。
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