鬼の棲む街


昨日から泣き過ぎなのに涙は止まってくれそうにもなくて

繋いだ手を外して肩を抱き寄せてくれた紅太の腕の中に縋り付いて泣いた


フローラルの匂いに少しずつ気持ちが落ち着いてきて
涙を拭くためのタオルが渡される頃には乱れることのない紅太の鼓動が心地よくなっていた


「紅太、珍しいな」


謎かけのような振りにも


紅太はフッと笑っただけ


「ま、もううちの娘だから、それなりの覚悟をしてもらうぞ」


「あぁ」


なんとなく私のことだとは分かるけれど
それなりの覚悟?の意味も分からなくて

難解なやり取りのうちにと紅太の腕の中から抜け出した


「小雪、あっちでお茶しよう」


絶妙なタイミングでかかった愛さんからのお誘いに二つ返事で立ち上がるとソファから離れた


「小雪、此処へ」


手招きされて移動した先は
バルコニーのお花が見える大きな窓の側にある可愛らしいテーブルセットだった


「此処はね、編み物をしたり刺繍をしたりする私のお気に入りの場所なの」


そう言って笑うお母さんはレースの付いたハンカチを見せてくれた


「可愛い」


四隅にある刺繍は綺麗な牡丹


「それはね、愛のなのよ?」


すぐ傍に置かれたチェストから小さな小物を取り出すと丸いテーブルの上に並べていく


「牡丹は愛の“印”なの、だから愛の持ち物全てに牡丹が付いてるのよ?」


「素敵」


「小雪は何にしようかしら」


「私、ですか?」


「そうよ。小雪も娘になったんだもの愛と同じように印をつけましょうね」


こんなに大事にされて良いのだろうか?


不安になって顔を上げると愛さんは頷きながら笑ってくれた


「お願い、します」


「あら、泣き虫ねぇ」


冷鬼だと言われる愛さんの周りには“愛”しか溢れていない

愛情を受けずに育った私には眩し過ぎて暫く涙は止まってくれなかった







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