コインの約束
◎ 胸の傷跡
右隣を歩く和真がとても不機嫌。
そんな和真を無視して、私は左隣を歩く和己先生から大学のことを色々と教えてもらっている。
ここは和己先生の母校でもあり、和真の目指している大学。
前から和真と約束をしていたオープンキャンパスに来ている。
和真のお兄さんの和己先生が案内役を買って出てくれて、とても詳しく学校内を紹介してくれているから、とても助かってる。
この大学には私の行きたい学部もあるから真剣に話を聞いているのに、和真が
「もう帰ろうよ」とか「兄貴は早く教授のとこ行けよ」とか、邪魔をしてくる。
「和真!和己先生が教えてくれてるんだから、ちゃんと聞こうよ」
「どうせ芽衣はカフェテラスとかしか興味ないだろ」
「そんなことないよ!失礼な!」
「そうだよね、芽衣ちゃんは真剣に聞いてくれてるでしょ。和真が飽きただけだろう」
和己先生も私に加勢してくれる。
「和真、もしかしたら一緒に過ごすことになるかもしれない大学なんだよ。もっと興味を持とうよ」
「芽衣、本当にそう思ってる?」
「思ってるよ。和真と一緒の大学に行きたいもん。だから勉強頑張るの!」
「めーいー。なんでそんな可愛いこと言うの?ならさ、大学生になってから二人で色々キャンパス探検しよ。だから今日はもう帰ろ」
「芽衣ちゃん、もう今日は和真連れて帰りなよ。また別の機会に案内してあげるからさ。和真抜きで」
うわ、和己先生!そんなこと言ったら和真がキレるってば。
「んあ?兄貴さ、芽衣のこと誘ってんなよ。芽衣は俺以外の男とは出かけないんだよ」
もう、今日の和真は何を言ってもダメだね。
和真はこの後のデートのことで頭が一杯なんだろうな。
「あー、もう分かったから。じゃ、帰ろ。和己先生、せっかく案内してくれているのに、ごめんなさい」
大学内で和己先生とお別れして、私と和真はデートに向かった。
「芽衣、行きたいところある?」
和真の目がキラキラしてる。
オープンキャンパスなんて建前で、本当はデートが目的だったんでしょ?
本当に分かりやすいんだから。
「臨海公園に行きたい。水族館とね、観覧車があるところ。だめ?」
「いいね、行こ!」
今日は天気もいいし、秋の風が気持ちいい。
海の側にあるその公園は小さい時に両親に連れて行ってもらったことがある公園。
海にも行くことができるし、一日中楽しめそう。
やだ、私もワクワクしてきた。
「和真、手、繋ぎたい」
今までこんなお願なんてしたことなかったけど、今日は和真とくっついていたい。
初めてのデートだからかな。
「芽衣、手貸して」
そう言って和真は私の手を取ると、恋人繋ぎをしてくれた。
「ねぇ、芽衣。芽衣がそんなに積極的だとさ、周りに誰かいてもキスしたくなる」
「うん、私もだよ。でも暗くなるまで待ってね」
「芽衣。俺もう限界なんですけど」
和真の言う限界って、経験のない私にだってキスだけじゃない、その先のことだってくらい分かるし、私も和真とならそうなりたいって思ってる。
でも、私の胸の所にある小さなころに手術した時の傷跡を見られるのが怖い。
その傷を見て、和真が引いてしまうんじゃないかって。
外科医を目指している和真なら私の体に手術痕があることくらいは想像つくと思う。
でも私のそれは左の胸の乳房の下に今もはっきりと残っている。
その傷が女性としての魅力を無くしているような気がして、鏡に映るその傷を見てはいつも泣いてしまう。
和真とそういう言う関係になる前に、話そうと思う。
もし、和真がそれを拒むのなら、私は和真を責めることはできない。
悲しいけど、この体の傷も、私なの。
水族館に着き、
ふれあい水槽の中に腕まで入れてドクターフィッシュにたくさんキスされたり、
ヒトデを触って「気持ちわる―い」って騒いだり、
イルカショーを観てイルカに水を掛けられる洗礼を受けたりして、
私と和真はずっと笑い合っていた。
夕方になると海岸へ行き、
水際で水を掛け合ったり、
綺麗な貝殻を見つけて、ヴィーナスの誕生!ってポーズを取ったりして、
二人で涙を流しながらお腹を抱えて笑った。
和真と本当に楽しい時間を過ごすことができた。
辺りが暗くなると、観覧車がライトアップされて、とても綺麗で。
私は今日のデートの最後に観覧車に乗りたい、と提案した。
和真は移動するとき、ずっと手を恋人繋ぎしてくれて。それだけで幸せだと思ったよ。
観覧車に乗ったら、話そう。そう決めていた。
「和真。話したいことがあるの」
さっきまでの表情とは違う私を見て、和真は嫌な予感がしたのだろう。
和真の顔から笑顔が消えた。
「和真、あのね。私、小さい時に心臓の手術をしたでしょ」
「うん、知ってるよ。それがどうしたの?」
「その時の傷がね、残ってるの。痕になってるの」
「そうだろうね、あの時代の技術なら傷の目立たない手術は難しかっただろうし」
「うん」
「で?その傷がどうしたの?痛むの?」
「ううん、痛みは全然ないよ。その傷がさ、私の左のさ・・・胸の下に、あって」
私はここまで頑張って話したけど、涙で声が続かなくなってしまった。
すると和真は私の隣に座り直して、私の肩に腕を回し強く抱きしめてくれた。
「芽衣、話したかったことって、その傷のこと?」
私は無言で首を縦に振って答えた。
「はぁーっ、芽衣、驚かさないでよ。俺、別れ話されるのかと思って生きた心地がしなかった」
「そうじゃないけど。もし、傷のある私がイヤだったら、私は和真を引き留められないから」
「はぁ?芽衣、自分が何を言っているか分かってる?」
「だって。ずっとずっと思っていたことなの。いつか好きな人ができて、そういう関係になる時にね。私の胸にある傷を見たら、引かれるんじゃないかって。いつも怖かった」
「芽衣。よく聞いて。俺さ、芽衣の体が目的で付き合ってるんじゃないの。そりゃね、いつかは芽衣とそうなりたいって思うよ。芽衣の事大好きだし。その気持ちってさ、胸の所に傷があるからって言って無くなるものじゃないでしょ。あまり自分を否定していたら、俺、怒るよ」
「そう、かも知れないけどさ。鏡を見るたびに自分がイヤになるの。その傷を見るたびにね、私って魅力がないんだって」
「芽衣、俺、本気で怒るわ。なんなんだよ、芽衣。俺の気持ちはそっちのけかよ。ずっと芽衣が苦しんでいたのは分かるよ。でもさ、自分に魅力がないとか、言うなよ。俺はどんな芽衣だって大好きなんだよ。その傷だって芽衣の一部だろ。その傷があるからこうして今、芽衣が元気にしていられるんだろ。傷に感謝するくらいの気持ちを持てよ」
「俺がそんなことを気にするヤツだと芽衣に思われていたことの方が俺は悲しいよ」
「ふぇっ、ご、ごめん和真。うわーん」
私は涙が止まらなくなって、大声で泣いた。
「ごめん、芽衣。言い過ぎた。けど、その傷はさ、一生涯に俺だけにしか見せないよな?今までも、これからも。だったらその傷は俺だけが知っている芽衣だろ。俺、それってすげー嬉しいけど。芽衣と俺だけ。絶対に他の男には見せんなよ」
私は涙で声が出せないから頷いて返事をした。
「もう、そのことで悩むのは今日で終わりにして。ね、芽衣」
私は何度も頷いた。
「ありがとう、和真」
和真は私の涙を何度も何度も拭ってくれて。
もう観覧車は地上に着くというのに、泣いている私の目に、頬に、口に優しくキスをしてくれた。