コインの約束
◎ 和真の気持ち
芽衣は本当に、可愛い。
修学旅行最終日のコースを俺のために一生懸命考えてくれてて。
見学場所への動線も、その途中にあるお店も。
すべて調べてくれていた。
考えてみたら、芽衣とのデートって、いつも行先は芽衣が決めてたな。
でもそれが俺には心地よくて。
芽衣のことは何でも受け入れられるんだ。
八坂神社では『俺と永遠に結ばれますように』って願を掛けるって。
どうしてこんなに可愛いことをサラッと言えるんだよ、芽衣は。
俺が芽衣から離れるとでも思うのか?そんなのありえねぇ。
俺の片想いの長さ、なめんなよ、芽衣。
八坂神社からケーキ屋に移動して。まさかのケーキ3個!
俺、洋菓子の方が好きだって言ったけどさ。
3個のケーキを半分ずつ食べたら一人1個半だろ。もう俺はギブアップだったぞ、芽衣。
芽衣は平気な顔してペロッと食べ切ってたな。
なんならもう1個食べたら?って言ってあげたかったけど、俺が巻き添えになりそうだから、止めといた。
ケーキ屋を出て、俺たちは徒歩で清水寺へ向かった。
芽衣が疲れていないか心配だったけど、ケーキを食べた分、歩かなきゃ。
お昼御飯が入らなくなるとか言って。
歩いている時はもちろん手を繋いで。
途中で同じ学校の奴らと会った時、芽衣は恥ずかしくて手を離そうとしたけど、俺は絶対に芽衣の手を離さなかった。
そんな俺に芽衣は上目遣いで文句を言うんだ。
『和真、恥ずかしいよ』って。
そんな可愛く言われたって、手は離さないからな、芽衣。
清水寺で、芽衣が『俺と観たこの景色は絶対に忘れない』ってさ。
あの場で芽衣を抱きしめたくなったよ。
観光客が沢山いて良かった。
もし居なかったら、俺は迷わず芽衣を押し倒してた。
清水寺を出て、土産物屋でコインを作ろうって。
好きな言葉を刻めるんだって。
二人の名前とメッセージを刻んで、交換っこしようよ、ってさ。
芽衣は小学生か!って突っ込んではみたけど、俺もなんだか面白そうだから、作りたくなって。
俺の方が食い気味にコインに刻印したじゃねーか。
そのコインの仕上がりをベンチに座って待っている時、芽衣が気になるお店を教えてくれて。
そんな芽衣を俺は目を細めて見ていたんだ。
その瞬間、俺の目の前に突然黒い塊が現れた。
視界が一瞬真っ暗になった。
何が起こってる?
今、俺に起こっている出来事がしばらくの時間、理解できなかった。
視界が明るくなり、まず最初に見えたのは、同じクラスの女の顔。
こいつ、あの時の体育館で俺をキレさせた女だ。
芽衣に目線を移す。
芽衣?どうしたんだ?どうしてそんなに悲しい目をしてる?
『あなたたちなんて壊れたらいいのよ』 この女が言い放ったと同時に芽衣が走って行ってしまった。
俺は何が起こったのか、やっと理解した。
この女、今俺にキスしたのか?俺の唇に気持ち悪い感触があった。
俺は唇をきつく拭いながら、この女を怒鳴りつけた。
そして、芽衣!行くな!待って、芽衣!!
そんなに走るな!
俺はその場にこの女を残し、芽衣を追い掛けた。
どこへ行った?芽衣。
この辺りは道が入り組んでいて芽衣が見つけられない。
途中で湊たちに会った。芽衣には会っていないという。
俺は大声で『芽衣』と叫びながら、走った。
すれ違う奴らにびっくりされても、そんなの関係ない。
とにかく芽衣を探さないと。
どれくらい探しただろう。遠くから救急車のサイレンが聞こえてきた。
俺は嫌な予感がした。
救急車の辿り着く先に芽衣がいるんじゃないかって。
あんなに走って大丈夫なのか、芽衣。
俺は救急車のサイレンの方へ向かった。
救急車を見つけた時には、その救急車は出発するところで。
運び込まれた人を見ることができなかった。
どうか、芽衣じゃありませんように。
俺は祈るように、そこにいた人に、誰が運ばれたのか、聞いた。
「高校生くらいの女の子よ。意識がなくて道路に倒れていたの。息をしていないとか、救急隊員が慌ててたわよ。可哀想に」
は?芽衣じゃ、ないよな?まさか。芽衣のわけがない、よな?
俺はその人に、ここからだとどの救急病院へ運ばれるのか聞いたけど、救急を受けている病院は数か所あるから、分からない、と。
俺は芽衣に電話を掛けた。どうか、芽衣。この電話に出てくれ。お願いだ。
数回コールして、携帯が繋がった。
芽衣、と言おうとして声が出なかった。
電話の向こうから聞こえてきたのは鮮明な救急車のサイレンの音。
芽衣は救急車の中にいる。
『もしもし、あなたはこの女の子の知り合いですか?』
『はい。芽衣は、その子は大丈夫ですか?意識がないんですか?』
『あなた、京都の大学付属病院へすぐに来られますか?』
『はい、すぐ向かいます。その子、心臓に病気があります。心室の手術をしています。走ってはいけないと医師に言われていましたが、さっき走ってしまって。どうか、助けて下さい』
俺はタクシーに乗り、病院へ向かった。
手が震えている。上手く携帯が押せない。
とにかく学校の先生に伝えなければ。俺は震えが止まらなかった。
病院に着き、救急外来の窓口へ急ぐ。
そこには芽衣を乗せてきた救急車が既に到着していて。
芽衣は救急の処置室に入ったようだ。
俺はその処置室の前で運んでくれた救急隊員に声を掛けられて、芽衣の情報を教えた。
俺の震え方が尋常じゃなかったんだろう、救急隊員に毛布を掛けられた。
そこへ高校の先生が二人来てくれて、
「結城くん、一体どうしたの?柚木さんは?」
「俺、すみません。先生。俺が一緒に居ながら、こんなことになってしまって」
俺は泣いていた。もうこれ以上話しをすることができなかった。
救急隊員は先生に事情を話し始めた。
「救急要請があり、現場に到着した時はすでに息ができていない状況で、途中でこの学生に心臓の持病を持っていることを聞いたので、なんとか応急処置はできましたが。あとは処置してくれている先生から話があると思いますので」
「結城くんは、とりあえずホテルに戻りましょう。先生が送って行くから。ここには保健の先生にいてもらいますから」
「いやです。俺、ここにいます」
「あなたが居てもどうにもならないでしょう。ホテルで連絡を待ちましょう」
「お願いします。芽衣の、芽衣の側にいさせてください」
俺と先生がお互い譲らない会話をしていると、処置室から医者が出てきた。
「ご家族の方はいらっしゃいますか?」
「申し訳ありません、京都への修学旅行中でして、家族はいませんが、担任の私が聞くことは可能でしょうか?」
「はい、ではこちらへ」
そう言って、芽衣のいる処置室へと入って行った。
俺は待っている時間が耐えられなくて、立ったり座ったりを落ち着きなく繰り返していた。
芽衣の担任が処置室から出てきて、俺と保健の先生に病状を話してくれた。
心臓は問題ない。病気をしていたと聞いていたけど、検査の結果、心臓はもう完治しているのではないか、と。
あとはもっと精密な検査をしてからの判断になるらしいが。
問題は、息をしていなかった時間があったため、意識が戻っていない。
倒れる前に過呼吸になったか、もともとの心臓の疾患が原因か。
医者は過呼吸だったのだろうとの見立てだそうだ。
どちらにしても、芽衣がこうなったのは俺が原因だ。
俺は、どうしたらいい?
泣くことしかできないのか?
芽衣。芽衣。芽衣・・・。
どうしてあの時、
『私と和真が永遠に結ばれますように』
って言ったんだよ。
『私、和真と観たこの景色をずっとずっと忘れない』
なんて言ったんだよ。
別れの言葉みたいじゃないか。
俺は芽衣のいる部屋のドアの前で叫んだ
「芽衣!芽衣!起きてくれよ、芽衣!」
俺を見かねた先生が、他の患者さんの迷惑にもなるし、とにかくホテルへ戻れと、強い口調で言って、強制的に俺をホテルに連れ戻した。
ホテルに帰ってきたときは、すっかり遅い時間になっていて。
芽衣を心配した友達たちがロビーで帰りを待っていた。
「おい、結城、芽衣はどうしたんだよ。なんで一緒じゃないんだよ」
俺の胸倉をつかんで湊が怒鳴る。
俺は何も話すことができなかった。謝ることしかできなかった。
怒鳴った湊が俺の顔を見て手を引っ込めた。
俺は泣いていたんだ。
「ごめん。芽衣は・・・芽衣が」
「何があったんだよ、結城!それじゃ分かんねーんだよ。俺たちだって、芽衣が心配なんだよ」
「皆さん、柚木さんは大丈夫ですから。もう各自部屋に戻って」
俺たちはそれぞれの部屋に戻り、それぞれが芽衣を思いながら夜を過ごした。
翌朝、帰りのバスにも、帰りの新幹線にも、芽衣の姿だけがなくて。
芽衣の担任からは、芽衣の両親が病院へ来ているから、俺は皆と一緒に帰るようにと言われた。
帰りの新幹線。
俺は窓の外を眺めて、クラスの奴らの目も気にせずに、泣いていた。
涙が止まらないんだ。自分が許せなくて。
クラスの数人は俺の異常さに気付いたんだろう。
高校生にもなって。男のくせに。人前で涙を流しているなんて。
そんな声が聞こえた気がした。
湊が俺の席に来て、担任から芽衣のことを聞かされたと言ってきた。
朝、芽衣のクラスでは芽衣が倒れて救急搬送されたこと、まだ意識がなく、しばらくは京都の病院に残ることを聞かされたそうだ。
俺のクラスのヤツらは、どうだ。芽衣のことなんて誰一人知らない。
芽衣が一人京都に残っていることを誰一人知らない。
俺は楽しく騒いでいるこのクラスの車両にいるのが限界で、新幹線のデッキに湊と出てきた。
そんな俺たちをクラスの奴らが放っておくわけがなくて。
「湊、本当に芽衣に申し訳ないことをしてしまった。芽衣がこのまま戻ってこなかったら、どうしたらいい。俺はどうしたら」
「いいか、結城。冷静になってくれ。お前が取り乱したところで芽衣がどうにかなる訳じゃないんだよ。一体、何があった?」
「いや、それは、言えない。すべて俺のせいなんだ」
「言えないって、なんだよ!お前がどれだけ芽衣を大切にしていたのか、俺は知ってんだよ。そのお前が芽衣を苦しめるわけないだろ。何があったんだよ」
そこへ化粧室からあの女が出てきた。
「あなたたち、うるさいわよ。さっきから芽衣、芽衣って。結城くんはやっと柚木さんと別れるって決めたのかしら?あんなの柚木さんに見せちゃったら、彼女はもう立ち直れないわよね」
その女の意味深な言葉に湊が反応する。
「おい、ちょっと待てよ。お前、昨日の芽衣のこと何か知ってんのかよ?」
その女の声を聞いただけで、顔を見ただけで吐き気がしてきて。
俺はトイレに駆け込んだ。
デッキでは湊がその女に食って掛かっていた。
「お前、昨日芽衣に何を見せた?芽衣と結城とお前、何があったんだよ」
「やだ、そんなこと普通聞く?あなたも柚木さんのこと好きなの?結城くんといいあなたといい、どうしてあんな女がいいのかしら」
湊はデッキの壁を思い切り叩いた。
「おい、お前が誰だか知らねーけど、芽衣のこと悪く言ってんじゃねーよ。芽衣をあんな女とか言ってんじゃねえよ」
「怖っ。私はね、結城くんがあの子に付きまとわれて困っているから助けてあげただけよ。ちょっと結城くんにキスしただけで、さっさと逃げちゃって。私に負けたのよ、あの子」
トイレに聞こえてくるその女の言葉を聞いて、俺はもう限界だった。
その女を殴らないと気が済まないくらい体が震えていた。
トイレのドアを壊れるくらいの力で開けて、その女に掴み掛かろうとした。
この女を殴って、退学になっても警察に連れていかれてもいいと思った。
その女に掴み掛かろうとした時、湊が俺を制止した。
「結城、何やってんだよ。少し冷静になれ。バカな女のこと殴ったって手が痛くなるだけだ。もう分かったから。昨日何があったのか」
「そんなに大袈裟に騒ぐことなの?たかがキスで」
その言葉に今度は湊がキレた。
「てめぇ、なに分かったように”たかがキス”だなんて言ってんだよ。それがどれだけ大事なことか、お前分からねぇんだな。もしかして、お前の頭、イッちゃってねーか?最低な女だな」
それまで大騒ぎしていた俺のクラスの奴らの車両が静まり返っていることに俺と湊が気付いた。
デッキのドアが開いていたんだ。
誰かが意図的に開けたままにして、俺たち三人の会話を皆で聞いていたらしい。
すでにクラスの奴らも芽衣が救急搬送されたことを噂で知っていたみたいだった。
その女はその場所にいられなくなってトイレに逆戻りした。
東京駅に着くまでの約2時間、トイレから出てこなかった。
俺と湊はその女をさげすみ、哀れんだ。
芽衣は状態が落ち着いているとのことで京都で3日間入院した後、結城総合病院へ転院してきた。
芽衣の両親が俺の親父に転院を頼んできたようだった。
心臓の検査ではなんの異常もなく、心臓はもう問題ないだろうとの見解。
あとは目を覚ますのを待つことしかできないと。
ただ、脳に酸素が回っていなかった時間を考えると目を覚ましても記憶が戻るかどうか、覚悟をして欲しいと、芽衣の両親には話してあるようだ。
俺は時間を見つけてはずっと芽衣の側にいた。
芽衣の手を握り、芽衣の名前を呼び続けた。
芽衣の両親はそんな俺を見て、まーくんの方が倒れてしまうんじゃないかと、心配までしてくれた。
俺があの時のまーくんだって、すぐに気づいてくれたんだ。
俺は嬉しかったよ。
『まー、く、ん』
それは突然だった。芽衣が俺を呼んだんだ。
目を薄く開けて、俺を見た。
「芽衣!芽衣!!気が付いたのか?」
俺はナースコールをして、急いで看護師を呼んだ。
看護師が俺を見て
「もう大丈夫よ、和真くん。だから泣いてちゃダメでしょ」
俺は泣いていることにその時初めて気が付いた。
その場に立っていることができずに、病室の床に座り込んで芽衣を、芽衣だけを見つめていた。
芽衣の両親が病室に到着すると、芽衣は両親をすぐに認識した。
記憶は飛んでいないようだった。
良かった。本当に良かった。
芽衣が母親に、
「まーくんは、どこ?」
と、聞いた。
俺の事を”まーくん“と呼ぶことに違和感を感じた。
そして芽衣はまた意識を手放した。