【受賞&書籍化】高嶺の花扱いされる悪役令嬢ですが、本音はめちゃくちゃ恋したい
 ふわっと甘い香りがして胸が震えた。
 高鳴った鼓動に耳を澄ますように、レイノルドはマリアの肩先に額を寄せる。

「……泣かせるつもりはなかった。俺はたぶん、あんたに泣かれるのが苦手なんだ。謝るからそう辛そうな顔をしないでくれ……」

 懺悔のような囁き声に、力強い腕の感触に、マリアの涙腺が緩んだ。

(レイノルド様は、わたくしを完全に忘れ去ったわけではないのだわ)

 記憶は操作できても、彼がマリアに抱いてきた感情までは消せない。

「レイノルド様」

 顔を上げたレイノルドは、キスでもしそうな距離でマリアをのぞき込んだ。
 夜の色に染まった青い瞳に、マリアはうっとりと笑いかける。

 この青の奥に、本来のレイノルドが――マリアを忘れる前の恋人がいる。

「わたくしが貴方を取り戻します。だから、待っていてください」
「待つ? 何を――」

 ちょうどその時、ガチャっと扉が開いた。
 顔をのぞかせたオースティンは、寄り添うマリアたちを見てわずかに顔をしかめた。

「何をしていたのですか?」

 咎めるような声に、マリアは一歩前に出て口角を上げた。

「レイノルド様に、俺の周りをうろちょろするなと注意されておりましたのよ。まさか、わたくしたちが密会しているように見えまして?」

「…………注意する相手にジャケットを貸しますか?」
「タスティリヤの王子は紳士ですわ」

 オースティンはジャケットをレイノルドに返すマリアを一睨みした。

 おお、怖い。
 おどけるマリアに視線で頷いて、レイノルドは彼女にかけていたジャケットを取る。

「ルクレツィアが呼んでいるんだな?」
「はい。もうじき次の幕が開くので、早くお戻りになるようにと」
「今行く」

 館内に戻るレイノルドに続いて、オースティンもテラスを去った。
 一人残されたマリアは傾いた満月を見上げる。

 その拍子に、右目から涙がつーっと流れた。

「レイノルド様が覚えていてくださった……」

 魔法で記憶を改竄されようと、消せない恋の炎がレイノルドには宿っている。

 それは糸口だ。そして希望だった。

(絶対に、取り戻してみせますわ)

 満月にではなく、自分自身に宣言した。
 神頼みするよりも、こちらの方がずっと勇気が出る。

 次の幕が開けるのを知らせるブザーが鳴り、マリアも館内へ戻っていく。
 テラスに出た時とは違って、熱を持った体はもう寒くなかった。
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