5歳の聖女は役立たずですか?~いいえ、過保護な冒険者様と最強チートで平和に無双しています!
過去との決別
 壁の向こうは、ただひたすら無限に続くだだっ広い空間だった。歪んだ景色に淀んだ空気……急に別の世界に飛ばされたみたい。
 これがスモアの言っていた、〝空間のひずみ〟ってやつなのだろうか。
 後ろを振り返っても、壁は見当たらない。
 ――進む以外の選択肢はないってことね。
 どちらにしろ、出口を探すのはフレディを見つけ出してからだ。今は帰る方法なんてどうでもいい。
「フレディ! フレディー!」
 大声でフレディの名前を呼びながら、私はこの不思議な空間を歩き続けた。
 響くのは私の声だけで、フレディからの返事はない。
 いったい、どこに行っちゃったんだろう……。
 でも、絶対にフレディも同じ空間にはいるはずだ。私たちは同じ壁をくぐり〝後悔の部屋〟に来たのだから。
「……後悔の部屋って、なにが起きるんだろう」
 今更ながら、そんなことを思った。
 なにか後悔するようなことが起きる部屋――だとしたら魔物部屋の数倍最悪だ。
 それともうひとつ気になること。
 どうして、私とフレディだけが結界を通り抜けることができたのか。
 ……〝後悔の部屋〟に入るために必要なものを、私とフレディだけが持っていた。そう考えるのが無難だけど、必要なものがなんなのかさっぱりわからない。
 ほかのみんなにはなくて、私たちだけにある共通点があるのだろうか。
「フレディ! どこにいるの!?」
 頭でいろいろ考えながら、フレディの名前を呼び続けた。叫びすぎて声が掠れてくるし、歩いても歩いてもずっと同じ景色が続くだけだったその時――。
「あれ……。あそこに誰かいる」
 道の先に誰かがうずくまっている。フレディではないことは、一目でわかった。
 それじゃああの人は誰なんだろう。私たちみたいによくわからぬままこの部屋に来て、出られなくなった人だろうか。
 近づくにつれて、女性の啜り泣くような声が聞こえてきた。顔を伏せているので表情は見えない。だけど、私はその人を見るとなぜかとても懐かしい気持ちになった。
「……あれ?」
 そして、泣いている女性の目の前まで来ると、私はその女性の正体に気付いてしまい驚愕した。
「わ、たし?」
 そこにいたのは、スーツを着た私だったのだ。
 くわしく言うと、前世の私〝神山芽衣子〟である。
 芽衣子は伏せていた顔を上げ、今の私〝メイ〟のことをじっと見つめた。
 ――ああ私、最期こんなひどい顔をしていたのか。
 客観的に見る芽衣子の顔は、それはひどいものだった。
 まだ若いのにハリも艶もない荒れた肌。頬はコケてるし髪も傷んでいる。残業だらけの社畜生活で、どこもかしこも手入れなんてする余裕がなかったことを思い出した。
「どうしてこんなところにいるの? 芽衣子」
 自分で前世の私に問いただしてみる。なんだか変な気分だ。
『どうしてって? だって、私があなたの〝後悔〟そのものだから』
「……私の後悔?」
『そう。私はあなたが心の奥底にしまい込んだ〝後悔〟。ここは〝後悔の部屋〟。深い後悔を抱えた人間だけが入れる場所』
 芽衣子は、自分自身こそが私の抱えている〝後悔〟だと言った。
「私が、前世の自分のことを……」
 言われて初めて、私は気づく。今までずっと、過去の自分のことを見て見ぬふりしていたことに。
 前世では働きっぱなしだったから。
前世では遊べなかったから。
前世では仲間がいなかったから。 
 だから今世では、悔いのないよう思い切り人生を楽しもうと思った。新たな人間〝メイ〟として。そして私は今、メイとして毎日を笑って過ごしている。
 でも心のどこかでずっと、私は〝神山芽衣子としての自分〟を忘れられていなかった。
 芽衣子はあのまま本当に死んでしまったのだろうか。それとも眠ったままの植物状態なのか。誰かに気付いてもらえただろうか。悲しんでくれた人はいただろうか。
 どうなったかを知らぬまま、かつての自分を置き去りにしておいていいのかなって……。
 なにより、メイになってから私は積極的にいろんなことに挑戦するようになった。
 知らない世界で、強くたくましく生きているのに――どうして芽衣子の時に、それができなかったんだろうと思うことが度々あった。芽衣子の時は、いろんなことをやる前からあきらめて、抗うことをしなかった。私は貧乏に生まれたから仕方ないって。
もっと変わる努力をしたならば……今の私が芽衣子としての人生をやり直せたなら、違った人生があったのかもしれないと。
 〝メイ〟としてじゃなく〝芽衣子〟としての私が、心の奥でずっとそうやって後悔していたのだと、私はやっと気づくことができた。
気づけなかったのは目の前の現実が楽しくて、前世の自分を置き去りにしていたからだ。いつかは向き合わなくてはいけないのに、それが嫌で知らないふりをしていた。放置していた後悔は、見えないところで勝手に膨らんでいたのだ。
『その後悔は、今ならまだ間に合うよ』
「え?」
『芽衣子としてやり直したいならまだ間に合う。だから私はここにいる。ねぇ、もう一度がんばってみよう。家族も、友達も、会社の人も、みんな待ってるよ。今の私なら、絶対に幸せな人生を送ることができる』
 前世の私が、そう言って私に手を差し出してきた。
 きっと、一緒に元の世界へ帰ろうと私を誘っているのだ。
 私の魂は今、メイとしてここにある。芽衣子がまだ死なずに眠っているだけだとしたら――この手を取れば、私は神山芽衣子に戻るというの?
『メイじゃなくて、あなたは芽衣子でしょ?』
「私、私は……」
 お父さん、お母さん、数少ない仲の良かった友達、実は密かに憧れていた取引先の営業マン。今まで思い出すことのなかった前世で関わった人たちの顔が、今になって鮮明に思い出される。
『それとも、ずっと芽衣子としての後悔を抱えたまま生きていくつもりなの?』
「それは……」
 さっきから、歯切れの悪い言葉しか出てこない。
 実際に前世の私と対面する日が来るなんて、思ってもみなかった。こうして見ていると、嫌でも芽衣子としての日々を思い出すじゃないか。なにひとつやり遂げることのできなかった、後悔だらけのあの日々を。……私、あのまま芽衣子の人生を終わらせていいのかな。二十歳の誕生日に過労で倒れるなんて情けない幕引きで、本当にいいの?
『やり直そう。さあ、早く手を伸ばして。そんな小さな体、不便で仕方ないでしょう』
 誘導されるがまま、芽衣子の手を取りそうになったその時だった。どこからともなく、声が聞こえた。
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