悪女だと宮廷を追放された聖女様 ~悪女が妹だと気づいてももう遅い。公爵と幸せな日々を過ごします~
プロローグ
「クラリス、お前のような悪名高き聖女とは一緒に暮らせない。俺との婚約を破棄してくれ」
黒髪黒目の麗人であるハラルド王子が冷たい言葉を放つと、クラリスの瞳から涙が零れた。
王子との出会いを思い返す。戦争で怪我をした兵士たちを治療するために、聖女として診療所へ派遣されたことがキッカケだった。
王子はお忍びで兵士たちのお見舞いに来ていた。クラリスが魔術で治療をしている間、瀕死の兵士たちの手を取り、必死に励ましていたことが印象に残っている。
彼はそれからも毎日のように診療所に顔を出し、彼女を見つけると少年のように無邪気な笑顔を浮かべた。
兵士たちの身体を拭いてやり、一緒に傷の手当てをする。共同作業は二人の心の距離を縮め、半年後には婚約を申し込まれた。
プロポーズの言葉は忘れたくても忘れられない。
『クラリスは他人の幸せが生き甲斐だろ。だからお前を幸せにする役目は俺に任せてくれ』
頬を紅潮させながらの愛の告白は何よりも嬉しい贈り物だ。この人と一生を共にしよう。彼女はそう心に誓った。
「あ、あの、私……ぐすっ……」
嗚咽が邪魔をして、言葉が声にならない。王子の怒りを鎮めようと必死に作り笑いを浮かべる。
「……っ……わ、私、きっと何か怒らせるようなことをしたのですよね。謝りますから……どうか傍に置いてください。私はあなたさえ傍にいてくれれば、それだけで幸せなのです」
他人の幸せばかりを求めてきたクラリスが唯一欲した望みだった。だが伸ばした救いを求める手は、払いのけられてしまう。
「ふん、白々しい女だ。お前の悪名を俺が知らないとでも思っているのか!?」
「悪評とはまさか……」
「お前が男たちをベッドに連れ込んでいる件だ」
「――――ッ」
王子の口にした悪名とは、王宮内に流れる根も葉もない噂の事だ。
聖女は男なら誰にでも媚び、夜を共にした異性の数は両手でも数えきれない。事実無根の悪評が流れていることは知っていたが、王子なら噂話の一つや二つ、笑い飛ばしてくれると期待していた。
だが現実は違った。身に覚えのない噂を剣にして、クラリスを切り捨てようとしていた。
「わ、私はあなた一筋です。浮気なんて絶対にしません」
「信じられるかッ」
「本当です。私が愛しているのは世界でただ一人。あなただけなんです」
信じてもらおうと必死に声を張り上げる。しかし王子の冷笑は消えない。
「ふん、噂話だけではない。俺はお前がスラムで男と手を取り合っている光景を目撃したのだ!」
「それは怪我人を治療していただけです」
貧困街に暮らす人々は治療費がないため、怪我や病気をただ耐えることしかできなかった。そんな彼らを救うために、街で無償の治療活動を行っていたのだ。
「苦しい言い訳だな」
「嘘ではありません……本当なのです……ぅ……信じて……くださいっ」
「ふん、どちらでも構わん。俺には新しい婚約者がいるからな」
「ま、待ってください……何でもしますから……だから私を捨てないでください」
「鬱陶しい女だ。やはり俺の婚約者にはあいつこそが相応しいな。お前も知っている女だから、きっと驚くぞ」
王子の婚約者と聞いて、大商家の令嬢や、帝国の姫の顔が頭に浮かぶ。しかし彼女らが婚約者であれば、そこに驚きはない。順当すぎる結果だ。
ではいったい誰なのか。その答えを王子が呼びかける名前で知る。
「リーシャ、俺の元へと来い」
「はーい♪」
部屋の外で待機していたのか、女性は扉を勢いよく開けて駆け寄ってくる。紺のドレスで着飾った彼女は、黄金を溶かしたような金髪と、海のように澄んだ青い瞳に加えて、クラリスと瓜二つの容貌をしていた。見間違えるはずもない。双子の妹であるリーシャであった。
だが双子でありながらもクラリスの印象は大きく異なる。痛んで艶を失った金髪、疲れで目の下に隈のできた瞳、そして何より農民のようなボロ衣の洋服。負傷した人たちを助けるために奔走してきたが故の見窄らしさであった。
「どうしてリーシャが……」
「ごめんなさい、お姉様。王子様は私が貰うことにしたの♪」
「う、嘘ですよね。あなたがこんな酷いことをするなんて……」
クラリスとリーシャの性格は真逆であった。どちらかといえば内向的なクラリスと、明るくて天真爛漫な性格のリーシャ。両親はより女の子らしいという理由から妹のリーシャを溺愛した。
両親から十分な愛情を与えられずに育ったクラリスであったが、彼女の心が曲がることはなかった。
それもすべて妹のリーシャのおかげであった。彼女はいつも一人ぼっちのクラリスを心配し、声をかけてくれたのだ。
自分もリーシャのように人に優しく生きたいとの願いが、彼女の人格を形成したのである。
だが尊敬する妹のリーシャが裏切り、自分の最愛の人を奪い取ろうとしている。理解できない現実に視界がグラグラと歪む。
「リーシャはお前と同じ聖女だ。大臣たちも婚約には賛成するだろう。誰もが望む美しい花嫁になる」
「王子様、好きッ♪」
「ははは、愛い奴だ」
二人は愛おしげに視線を交差する。その眼はかつての自分に向けられていたモノで、クラリスへの愛が失われたことを実感させられた。
「リーシャ、愛しているぞ」
「私もです♪」
二人はよりにもよってクラリスの眼の前で唇を重ねる。ストレスが心臓に早鐘を打たせ、胃の中から吐瀉物を吐き出していた。
「……ぅぇ……こんなのって、いくらなんでもあんまりです……」
心の傷は聖女の回復魔法でも癒せない。目尻から涙が零れ、頬を伝った。
「そう泣くな。お前には代わりの婚約者を紹介してやる。俺の弟で地位は公爵だ。顔があまりにも醜いために、嫁の成り手がいなくて困っていたのだ」
「王子様ったら優しい♪」
二人は恐悦の笑みを浮かべながら、泣き崩れるクラリスを見下ろす。彼女はただ泣き叫ぶことしかできなかった。
黒髪黒目の麗人であるハラルド王子が冷たい言葉を放つと、クラリスの瞳から涙が零れた。
王子との出会いを思い返す。戦争で怪我をした兵士たちを治療するために、聖女として診療所へ派遣されたことがキッカケだった。
王子はお忍びで兵士たちのお見舞いに来ていた。クラリスが魔術で治療をしている間、瀕死の兵士たちの手を取り、必死に励ましていたことが印象に残っている。
彼はそれからも毎日のように診療所に顔を出し、彼女を見つけると少年のように無邪気な笑顔を浮かべた。
兵士たちの身体を拭いてやり、一緒に傷の手当てをする。共同作業は二人の心の距離を縮め、半年後には婚約を申し込まれた。
プロポーズの言葉は忘れたくても忘れられない。
『クラリスは他人の幸せが生き甲斐だろ。だからお前を幸せにする役目は俺に任せてくれ』
頬を紅潮させながらの愛の告白は何よりも嬉しい贈り物だ。この人と一生を共にしよう。彼女はそう心に誓った。
「あ、あの、私……ぐすっ……」
嗚咽が邪魔をして、言葉が声にならない。王子の怒りを鎮めようと必死に作り笑いを浮かべる。
「……っ……わ、私、きっと何か怒らせるようなことをしたのですよね。謝りますから……どうか傍に置いてください。私はあなたさえ傍にいてくれれば、それだけで幸せなのです」
他人の幸せばかりを求めてきたクラリスが唯一欲した望みだった。だが伸ばした救いを求める手は、払いのけられてしまう。
「ふん、白々しい女だ。お前の悪名を俺が知らないとでも思っているのか!?」
「悪評とはまさか……」
「お前が男たちをベッドに連れ込んでいる件だ」
「――――ッ」
王子の口にした悪名とは、王宮内に流れる根も葉もない噂の事だ。
聖女は男なら誰にでも媚び、夜を共にした異性の数は両手でも数えきれない。事実無根の悪評が流れていることは知っていたが、王子なら噂話の一つや二つ、笑い飛ばしてくれると期待していた。
だが現実は違った。身に覚えのない噂を剣にして、クラリスを切り捨てようとしていた。
「わ、私はあなた一筋です。浮気なんて絶対にしません」
「信じられるかッ」
「本当です。私が愛しているのは世界でただ一人。あなただけなんです」
信じてもらおうと必死に声を張り上げる。しかし王子の冷笑は消えない。
「ふん、噂話だけではない。俺はお前がスラムで男と手を取り合っている光景を目撃したのだ!」
「それは怪我人を治療していただけです」
貧困街に暮らす人々は治療費がないため、怪我や病気をただ耐えることしかできなかった。そんな彼らを救うために、街で無償の治療活動を行っていたのだ。
「苦しい言い訳だな」
「嘘ではありません……本当なのです……ぅ……信じて……くださいっ」
「ふん、どちらでも構わん。俺には新しい婚約者がいるからな」
「ま、待ってください……何でもしますから……だから私を捨てないでください」
「鬱陶しい女だ。やはり俺の婚約者にはあいつこそが相応しいな。お前も知っている女だから、きっと驚くぞ」
王子の婚約者と聞いて、大商家の令嬢や、帝国の姫の顔が頭に浮かぶ。しかし彼女らが婚約者であれば、そこに驚きはない。順当すぎる結果だ。
ではいったい誰なのか。その答えを王子が呼びかける名前で知る。
「リーシャ、俺の元へと来い」
「はーい♪」
部屋の外で待機していたのか、女性は扉を勢いよく開けて駆け寄ってくる。紺のドレスで着飾った彼女は、黄金を溶かしたような金髪と、海のように澄んだ青い瞳に加えて、クラリスと瓜二つの容貌をしていた。見間違えるはずもない。双子の妹であるリーシャであった。
だが双子でありながらもクラリスの印象は大きく異なる。痛んで艶を失った金髪、疲れで目の下に隈のできた瞳、そして何より農民のようなボロ衣の洋服。負傷した人たちを助けるために奔走してきたが故の見窄らしさであった。
「どうしてリーシャが……」
「ごめんなさい、お姉様。王子様は私が貰うことにしたの♪」
「う、嘘ですよね。あなたがこんな酷いことをするなんて……」
クラリスとリーシャの性格は真逆であった。どちらかといえば内向的なクラリスと、明るくて天真爛漫な性格のリーシャ。両親はより女の子らしいという理由から妹のリーシャを溺愛した。
両親から十分な愛情を与えられずに育ったクラリスであったが、彼女の心が曲がることはなかった。
それもすべて妹のリーシャのおかげであった。彼女はいつも一人ぼっちのクラリスを心配し、声をかけてくれたのだ。
自分もリーシャのように人に優しく生きたいとの願いが、彼女の人格を形成したのである。
だが尊敬する妹のリーシャが裏切り、自分の最愛の人を奪い取ろうとしている。理解できない現実に視界がグラグラと歪む。
「リーシャはお前と同じ聖女だ。大臣たちも婚約には賛成するだろう。誰もが望む美しい花嫁になる」
「王子様、好きッ♪」
「ははは、愛い奴だ」
二人は愛おしげに視線を交差する。その眼はかつての自分に向けられていたモノで、クラリスへの愛が失われたことを実感させられた。
「リーシャ、愛しているぞ」
「私もです♪」
二人はよりにもよってクラリスの眼の前で唇を重ねる。ストレスが心臓に早鐘を打たせ、胃の中から吐瀉物を吐き出していた。
「……ぅぇ……こんなのって、いくらなんでもあんまりです……」
心の傷は聖女の回復魔法でも癒せない。目尻から涙が零れ、頬を伝った。
「そう泣くな。お前には代わりの婚約者を紹介してやる。俺の弟で地位は公爵だ。顔があまりにも醜いために、嫁の成り手がいなくて困っていたのだ」
「王子様ったら優しい♪」
二人は恐悦の笑みを浮かべながら、泣き崩れるクラリスを見下ろす。彼女はただ泣き叫ぶことしかできなかった。
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