冷徹弁護士は奥手な彼女を甘く激しく愛し倒す
『おい。おまえ、607号室の出穂だな?』
そう声をかけられた時は俺に殺されるかと思った、と、いつだったか出穂は目を逸らし苦笑いを浮かべていた。眉間にシワが寄っていて怖かったと。
けれど、それまでのひったくり未遂とエレベーター閉じ込めという二度の偶然を綺麗さっぱり忘れ、初対面みたいな顔を向けてきた出穂とは違い、俺にはリセットできない、それまでの経緯や想いがあったのだから仕方がない。
ブラック企業勤務のせいで頭が正常に働いていなかったとしても、さすがに毎回、〝はじめまして〟と言いだしそうな顔で俺を見てきたこいつは、案外神経が図太いんじゃないかと最近思う。
風呂から上がると、出穂はソファで眠っていた。
その頬に指の背で触れる。
伝わってくる体温にホッとする。
未だにこいつが眠っていると心臓がギクリと緊張するのは、エレベーターで倒れた日、青白い顔で気を失った出穂を介抱していた時のことが頭をよぎるからだ。
あんな風に人間が倒れるところを見たのは初めてだった。
脈も呼吸も正常で、熱もない。けれど、ピクリとも動かず眠る出穂が目を覚まさないんじゃないかと考えると怖かった。
事情を話した佐鳥が問題ないと判断したため、わずかに安心しながら再び出穂に視線を落とし……その時、思った。
本当の出穂に……八月のあの、馬鹿みたいに暑かったあの日に会った出穂に、もう一度会いたい、と。
あの時、俺の中にくすぶっていた重たく淀んだものを一瞬で追い払った笑顔をもう一度見たいと思った。