販売員だって恋します
『くすだ』はこの辺りではとても格式のあるお店で、未だに紹介者がいないと敷居を跨げない、というような店だ。

出す料理へのこだわりはもちろんのこと、人格、品格までも問われるような店なのである。

子供の頃から、由佳にとって父は厳格で近付きづらい人だった。

夏休みに家族で出掛けたことも、ほとんどない。
年に2度出掛けるのは、夏は軽井沢のオーベルジュで、冬はホテルに泊まる。

どちらもメインはお食事だ。
はしゃいだりしたら、即怒られた。
子供にとっては楽しいものでもないお出かけ。

由佳には、4歳歳上の兄がいる。
兄は子供の頃から、和服を着せられ、お座敷にご挨拶をさせられるような生活をしていた。

おっとりしていて、穏やかな人。
父に逆らうなんて、思いも及ばないような。

だから誰もが、自然に兄が家を継ぐもの、と考えていたはずだ。
『くすだ』は安泰だと。

『すみません。おそらく、お父さんの期待には応えられないと思います。』

そう書き置きを残して、ふらりと消えた兄に父は何も言わなかった。
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