憧れの陛下との新婚初夜に、王弟がやってきた!?
5章
アルザバルドの一件からひと月。慌ただしかったのが嘘のように、平和な日々が訪れていた。
ジェイドは国境線の視察の時期に入ったため、留守がちで、ユーリ様はご体調を優先しながらそれでも順調にお仕事をこなされていた。私は私で、少しずつお腹の詰め物を増やしながら、執務を片付けている。
そんな中の、ある晴れた日の午後。気分転換の散歩から戻り自室へ下がろうと、ジェイドの執務室のある階まで戻ったところで、金の巻毛の女性の姿を見とめて、私はその場を回れ右したくなった。
「あら、王妃陛下お久しぶりですわねぇ」
しかしこちらの反応よりも早く、その金髪の女性の歌う様な甘い猫撫で声が私を呼び止めた。心の中で小さく舌打ちをした私は、何とか対外的な王妃の笑顔を思い出して、その声の主に笑いかけた。
「まぁエリス嬢、随分とお久しぶり。こんなところでどうなさったの?」
そう、アルザバルドの件ですっかり忘れていたが、ユーリ様の公妃問題で、怪しい動きをしていたチェルシー妃…その姉君のエリスの存在だ。妹君を王太子妃にできるほどに、由緒ある侯爵家の御令嬢が、何故ジェイドの執務室の階…いわば軍司令部の人間がウロウロする場所にいるのだろうか?
そんな私の懸念に気がついたのか、彼女は「ふふっ」と笑って胸を張る。
「父がジェラルド殿下に用向きがありまして、ついてきたのです。お散歩の帰りですの?随分とお腹も大きくおなりですのね」
まるでここにいるのには正当な理由があるとでも言うように堂々と言い切った彼女は、話の後半は私の膨らんだお腹をジロジロと眺めて、なぜか勝ち誇ったように鼻で笑った。
「えぇ、まぁ」
突然現れた彼女に、そんな目で見られる謂れはないのだが…。長年の付き合いから彼女の思考が分かる私はわざと少し微笑んで彼女を見返した。
そんな私の意図に気づいた彼女は、分かりやすく眉を寄せるが、気を取り直したように、肩にかかった見事な金の巻き髪を跳ね上げた。
「ところで陛下は今お時間ありまして?」
まるで当然と言うようなその物言いに、私はわざと物分かりの悪い顔をして首を傾ける。
「陛下にも何か御用がおありなの?」
「あら、ご挨拶をと思って!これでも以前は妻候補だったのですもの。近くまで来てご挨拶もしないのは、ねぇ?」
恥ずかしげもなく…と言うかむしろ堂々と言ってのける彼女の面の皮の厚さに、あぁそう言えばこう言うところが結局彼女が候補から外された理由だったっけ?と思い出す。
「まぁ、残念ですが陛下は今執務の最中ですから」
貴方の相手なんてしていられないのよ?と遠回しに伝えるが
「あら、終わられるのはいつ?お待ちしようかしら?」
まぁ通じないよね~。心の中で呆れながら、私は笑顔を貼り付けたまま首を傾ける。
「でも本日のエリス嬢の用向きは、お父様の付き添いでしょう?お父様の御用が終わられたらお帰りになるのが筋ではなくて?」
招いてもないのだから、用が済んだらさっさと帰りなさいよ、そう言外に言っているのだが
「まぁ、お茶に付き合ってはいただけませんの?」
さも当たり前のように…むしろこちらが気が利かないとでも言うように言われ、流石の私も笑みを作った頬がヒクヒクと痙攣してきた。
「あいにく、私もこの後は執務が残っておりますの。ご存知でしょう?外に出なくても王妃には役割が沢山ありますのよ」
王妃候補となった事のある彼女ももちろん途中まではお妃教育を受けていたわけで、王妃が何もしなくてもいい仕事ではない事は知っているはずだ。これ以上彼女に付き合うのも馬鹿馬鹿しくて、「忙しいので失礼しますね?」と笑って、自室へ向かう階段を登ろうとしたところを…あろう事が、当然と言う顔をして彼女はついてきた。
私の後について居室のフロアにあがろうとしたエリスだったが、その途中で、私の目配せを正確に察した見張りの兵にしっかりと止められた。
突然目の前に立ちはだかられて、不機嫌にこちらを見上げてきた彼女に、階段を登る足を止めて私はニコリと微笑む。
「お生憎ですが。ここからは王の居住区。王の家族と許された者しか入れませんの。大人しくお父上をお待ちなさいませ」
私の言葉に、彼女は一瞬唇を噛んだ。これで諦めるかと思いきや…。
「あら?もしかしたら私も家族になるかもしれないのよ?」
まるで決定事項かの様に自信満々な彼女は、勝ち誇ったような顔でこちらを見上げてくる。
本当に…厚顔無恥と言うのはこう言う者のことをいうのか、とため息が漏れる。
ついに笑顔を貼り付けることをやめた私は、心底呆れたというように彼女を見下ろす。
「公妃は代々ここには入れない決まりなのです。
貴方が見学なさるならばあちらの西側の塔を見られた方がいいですわよ」
そう言って西側の方角…代々公妃とその子供が居住する建物を指差す。
そんな私の言葉に彼女は何を勘違いしたのだろうか、勝ち誇ったように微笑んで。
「あら、王妃様はやはりお心が広い。公妃をお認めいただけるのですわね?」
まるでこちらの言質を取ったとでもいう様なその言い草に、初めて自然と笑みが漏れた。
「まさか!それは陛下が決める事、私がとやかく言えるものではございません。でも、夢を見るのはどなたでもご自由でしょう?わざわざ壊して差し上げる必要もありませんから」
「あらぁ、相変わらず素敵な性格でいらっしゃいますのね」
「ふふふっ、エリス嬢ほどではございませんわぁ」
ふふふ、と互いに笑い合っていると、折よくガチャリと扉が開く音が広間に響いた。
開いた扉から出てきたのは、エリスのお父上であるベルベルト侯爵と、ジェイドで
「どうしたんだ?」
階段の数段上と下で近衛兵を挟んで睨み合っている私達を見たジェイドが、訝しげに眉を寄せて聞いてきた。
途端に私と睨み合っていたエリスがクルリと向きを変えてジェイドに向き直ると。
「折角お近くまできたので、国王陛下にご挨拶をと思ったのですが。どうやら王妃陛下はそれが気に入らないご様子なのですぅ」
素晴らしい変わり身。貴方侯爵家の令嬢よりも、舞台女優とかの方が合っていたのではないの?と思えるほどの演技力…。
呆れながら彼女を見下ろしていると、エリスに対峙しているジェイドと目が合う。
「ユーリは?」
「今は執務中です。」
眉を下げて肩を竦めればそれだけでジェイドは私の意図をしっかり理解してくれたらしい。
ベルベルト卿と、エリスを見比べた彼は
「ならば無理だな。仮にも国王相手にアポも取らず会えるとは思ってなかろう?」
そうバッサリと言い捨てた。
「そ、それはもちろん!ですが!」
どうやら娘と同じ事を企んでいた父親が何か口走ろうと口を開くものの。
「ならば諦めて帰るのだな。王妃も大事な身体、長いこと立ち話に付き合わせるのも良くない。それにベルベルト卿、今日くらいの内容の要件であれば、わざわざここまでご足労頂かなくとも報告書で十分だ。特にこのところ俺は視察で留守がちにしているからわざわざお越しいただくより、書面の方が確実に伝わって助かる。」
今日の来訪自体さえ、必要のあるものでは無かったとすげなく言って、なんなら今後も来てくれるなとのおまけ付きだ。
まぁジェイドが留守がちなのは間違い無くて、今日はたまたまタイミングが合っただけの様だ。
「っ…承知いたしました!」
もう何も言えなくなったベルベルト卿は深々と礼を取って、立ち尽くしているエリスに「帰るぞ」と声をかけて足早に階段を降りていった。
その後ろ姿を見送ると、二人の気配がなくなったところでジェイドがため息を吐く。
「大した用でもないのに何をと思ったが…よもやそんな下心があったとはな!」
そう言って、私に「大丈夫か?戻れるか?」と聞くので、私はしっかりと頷く。
「ユーリにはきちんと報告しておいた方がいい」
「そうね!お茶の時間にでもすぐに!」
頷いて私は階段を登り、自室へ戻った。
「そうなんだよね~。時々手紙が届いてはいたんだけど、返事もしてないから諦めるかなぁと思ったのだけどね」
お茶の時間に一連のエリスの言動を話して聞かせれば、ユーリ様は少々困ったように笑って息を吐いた。
「彼女もいい歳だろう?革新派の考え同様に、この妊娠中が私に公妃を取らせる好機だと思っているのかもしれないね」
本当に妊娠しているのは私なのに全く滑稽だね!とユーリ様は肩をすくめる。
「とりあえず、またこうして接触を持とうと待ち伏せるような事があるかもしれませんから、気をつけておくに越したことはありませんね。」
神妙な顔でジフロードが頷くと、その横でユーリ様はカラリと笑った。
「まぁそれにしても…私がこの部屋から出られるのも、もう少ししかないからねぇ。上手く逃げ切るしかないかな!」