マリファナの樹
中学の頃、冴えない同級生と知り合った。
始業式のクラス会で派手な自己紹介により知り合った剣菱とはクラスが離れ、各学区の学生が一致集結した中学のクラス数は多くなり、一学年8クラスともなれば自ずと友人とも分散される。加えてバスケットボール部に所属し根明な集団と連むようになった剣菱に対して、その頃から好き好んで化学部に入部した自分とではそもそも住む世界が違ったのだ。
ましてや思春期の多感な時期だ。血気盛んな明るい集団、自己主張の強い運動部を主軸とした生徒が学園ヒエラルキーの上部に位置し、電子基板や水銀整流器の構造に身を投じていた自分はいつしか俗に言う窓際族に追いやられ、物事の決定権すら得られない堅物の枠組みの中にいた。
自分が好きで選んだ道だ。人間に、興味がなかった。昔からだ。
『花江くんて、呼んでもいい?』
だから、そう突拍子もなく声をかけられた時、目の前の席でおずおずと勇気を振り絞って声を上げた小野寺勇太を果敢だと思った。何が悲しくて数いるクラスメイトの中から俺を選んだのだと、憐れにも感じた。
『人を見る目がないんじゃないのか』
『どうして?』
『他をあたった方がいい』
『あたれる人が、君しかいないんだ』
『なんだそれは』
『僕の素性をよく知らないのは、他人に興味がない君くらいだからだよ』
話を聞いて、初めて、そこで小野寺が同じ化学部の部員で、そして学年を牛耳っているサッカー部の生徒に悪質ないじめを受けていることを知った。
小柄で細く、生まれつき身体が弱いことで運動制限をかけられたり、その影響で母親からの過干渉に苦しんでいたという小野寺は確かに女々しく、臆病で消極的だった。
孤立の枠組みにいても頑として自分の意志を曲げない俺を他人は堅物と呼んだのに、小野寺はその一貫性に惹かれたと言った。物はいいようだ。あと目の付け所が悪い。
ただそんな内気で自己主張をしない弱者は暇を持て余した思春期の悪意の恰好の餌食となり、俺に何の被害がないのに対し、単独で動いている所を付け狙われては泥塗れの学ランで俺の前に現れたり、昼食中に突然泣きつかれたりと正直うんざりしていた。
何なんだと思った。
剣菱といい小野寺といい、そして後の桐子もだ。
人運という言葉があったとして、自分にはそれが無さすぎる。
ただ、自分を頼りに、懸命に毎日を踠く小野寺に心打たれるものが確かにあった。
救われている、と泣き腫らした目で強がる小野寺の笑顔に、救われている自分が確かにいた。