恋に焦がれて鳴く蝉よりも
 「節操のない女だと、呆れていますか?」

 「いえ。まったく」

 「父に無理を言って、強引に縁談を勧めた
ことも?」

 「我が社にとっては、願ってもない話です」

 「じゃあ、覚悟はあるんですね?会社を守る
覚悟が。わたしと、一生を共にする覚悟が」

 彼女のその言葉に、一久は唇を噛みしめる。
 紫月は、すべてを見透かすような眼差しを、
一久に向けている。

 2人の間に、沈黙が流れた。

 周囲の声がざわざわと聴こえて、一久は
しだいに冷たくなっていく指先を見つめた。

 小さく息をつく気配があった。
 紫月のため息だ。一久は顔を上げた。

 「あとは、あなたが決めてください。わたし
は、あなたが決めたことを受け止めます。その
キーを取るか、取らないか。選択はそれだけ
です」

 凛とした声だった。
 その声に心を決め、一久は静かにカードキー
を見る。ホテルのロゴが金箔で印字されている。

 一久がカードキーに手を伸ばすのを、紫月は
うっすらと笑みを浮かべ、見つめていた。



< 49 / 103 >

この作品をシェア

pagetop