恋に焦がれて鳴く蝉よりも
 「それでもし、ねーちゃんが結婚できなかった
ら、オレが二世帯住宅立ててやるから、隣に住め
ばいいし」

 にっ、と得意そうに笑ってそう言った拓也に、
蛍里は思いきり口を尖らせた。

 「やだよ、そんなの。拓也に迷惑なんてかけた
くないし、そもそも、どうして結婚できない前提
で話進めるのよ」

 「だから、例えばの話だって。オレが言いたい
のは、ねーちゃんのことはオレが見てるから、
大丈夫だってこと。ちゃんと幸せになるまで見届
けるからさ。もっと自分の気持ちに正直に生きな
よ」

 「……拓也……」

 照れたように笑って鼻を擦っている拓也に、
蛍里はまた涙が滲んでしまいそうになりながら、
頷く。

 「ありがとう」と口にすれば声が震えてしま
いそうで、蛍里は笑みを返すことしかできなか
った。

 それでも、拓也は満足そうに頷いて残りの
クラッカーに手を伸ばす。蛍里も、すっかり冷た
くなったフライドポテトにケチャップを付けて、
口に入れた。

 ずっと凍えていた心が、少しずつ溶かされて
ゆく。辛いときは誰かに寄りかかればいいのだ
と、弟が優しく教えてくれる。



-----好きでいればいいのだ。



 せっかく誰かと出会って、心を通わせること
が出来たのだから。

 無理にその想いを放り出してしまっては、
勿体ない。

 そう思い至ると、蛍里は専務の顔を思い
浮かべた。



-----彼はいま、どうしているのだろう。



 自分の元を去ったいまも、どこかで筆を執って
いるのだろうか。

 記憶の中の彼が振り返って、蛍里に手を差し
伸べる。

 その姿は、蛍里が描いていた詩乃守人と同じ
ものだった。
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