男装即バレ従者、赤ちゃんを産んだらカタブツ皇帝の溺愛が止まりません!
 予想外のボリュームの事前学習を課された私は直角に腰を折って礼をとるや、マニュアルを抱え弾丸のごとく侍従長官室を飛び出した。
「お待ちなさい、私はなにも一晩ですべて覚えろとは――」
 退出しがけの背中にかけられた制止の声は、目先の課題のことで頭がいっぱいの私の耳を素通りした。
「……ふむ、端から暗記を放棄しようとした者はいた。しかし、一日でその分量の暗記を試みようとする猛者に出会ったのは初めてです。なにやら、面白くなりそうですね」
 扉が完全に閉まったことで、ゼネダ様の喜色混じりの呟きも私に届くことはなかった。

 翌日の午前六時。
「サイラス様、おはようございます。お目覚めのお時間でございます」
 私はサイラス様の枕辺に立ち、起床を促していた。
「……あと五分だ」
「少々失礼いたします」
 不機嫌を隠そうともしない低い声が返り、私は怯まずにひと声断って彼の額に手のひらをあてた。
 触れる瞬間はトクンと脈が跳ねた。けれど、意思の力で従者の役目に徹し、手のひら越しの彼の体温に意識を集中させる。
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