祈りの空に 〜風の貴公子と黒白の魔法書
消えた魔法書
 王宮の地下深くに、小さな部屋があった。
 ひとりの女とひとりの男がその部屋の前に立ち尽くしている。
 夜は明けているが、地下には日も差し込まない。松明の炎もない。
 が、辺りは明るい。
 男と女の間にオレンジ色の光の球が浮いていて、ふたりの周囲をくっきりと照らしている。
 ふたりが見ているのは部屋の扉だ。決して開かれることのないはずの、部屋の扉が開いていた。
「昨夜だな」
 男は、ぎり、と唇を噛んだ。まだ十代だろう。少年と言ってもいいかもしれない。赤い髪を長く伸ばし、魔法使いの黒いローブとマントに身を包んでいる。一見細身の優しげな男だが、灰色の目は、鋭く部屋の扉を見つめていた。
「感知できなかった。俺のミスだ」
 女も男と同じく、若かった。そして、美しい。咲き誇る花ではなく、滝にほとばしる水のような清冽な美しさだ。
 今からちょうど一年前、父である先王が身罷ったあと、15歳にして玉座についたグランガルの姫王、エディアである。
 若く美しい姫王は、しかし、その年頃や身分にふさわしいように着飾ってはいなかった。艶やかな黒い髪を背中で緩く束ね、上質だが簡素な役人服を着ていた。膝丈の上着と、動きやすい脚衣を。
 姫王はそっと手を伸ばして、部屋の扉に触れ、男の言葉に首を振った。
「たとえ気づかれずに忍んだとしても、この扉は開けられないのだ」
 続く言葉を口にする前に、一瞬、苦悶するような表情が姫王の顔に揺れた。
「我が王家の者でなければ、この扉をあけることはできない」
 男が小さく息を吐いたとき、武官が衛士を二名つれて走ってきた。
「エディア様」
 姫王に向かって、膝をつき、短く言った。
「ディアナム王子は、部屋におりません」
 鋭い痛みを感じたように、姫王は目を閉じる。が、すぐに目を開けると、きっぱりとした声で命令を発した。
「探せ、ディアナムを。──ディアナムと『黒白の書』を」
 そして、傍らの男に声をかける。
「我々も行くぞ」
 男は姫王の言葉に従う前に、もう一度ため息を落とした。
 歩き出す姫王のあとを追いながら、後ろをちらりとふり返る。
 細く扉が開いた小さな部屋には一冊の魔法書が封印されていた。『黒白の書』と呼ばれる、魔法書が。
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