祈りの空に 〜風の貴公子と黒白の魔法書
「申し訳ないが、リシュナ……」
「いいから、早く!」
 シルフィスは腰の小刀を手にした。目を閉じたリシュナの頬に刃を当てる。
「すまない」
 一息に刃を引いた。
 ん、とリシュナが悲鳴を噛み殺す。
 頬を伝って落ちた血を、シルフィスは左手に受けた。
「すまないが、手当はあとで……」
「こんな傷、飛頭はすぐふさがるの。それより、早く!」
 シルフィスは『黒白の書』を片手に陣形の中央に立った。
 握った左手からリシュナの血が滴って地面に吸い込まれる。シルフィスは深く息を吸った。
 呪文の詠唱。───我、血をもって請い、また願う。大いなる力、闇より来て、空を枷より……。
 低い笑い声が聞こえた。耳ではなく、頭の中に。
『では、闇に沈めよ、汝の血』───と。
 地面に落ちたリシュナの血の滴が鈍い銀色に光った。その一滴一滴が、幾十本の針のような細い刃となって、シルフィスに向かって飛んだ。
「……!」
 とっさに片腕で目を庇った。片手は『黒白の書』を落とすまいと胸に押し当てた。シルフィス、とリシュナが叫ぶ声が聞こえた。
 体中を切り裂かれて、シルフィスは立っていた。足から、背中から、赤い染みが衣服に広がる。腕から、頬から、流れ出した赤いものが、ぽたり、ぴしゃり、地面に落ちた。
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