その後のふたりぐらし -マトリカリア 305号室-
03.きっかけの電話
玄関から聞こえてきた物音に、髪をとかしていた手を止める。
……よかった。
今日は、ちゃんと早くに帰ってこれたんだ。
洗面所から廊下に飛び出して、
「おかえ——」
おーちゃんに向かって呼びかけた言葉を、わたしは途中で飲み込んだ。
おーちゃんは、スマホを耳に当てていた。
誰かと通話中みたいだ。
目が合って、ごめん、と声を出さずに口だけを動かす。
「ただいま」の代わりに、くしゃりと頭を撫でられた。
——と、同時に、なにやらスマホの向こう側から、テンションの高い男の人の声が聞こえる。
おーちゃんは、鬱陶しそうに耳を離した。
「……うるせーよ」
久しぶりに聞く、少し乱暴な言葉遣い。
けれど、決して圧や怖さを感じるものではなく、普段の穏やかな話し方との違いが新鮮で、ドキッとする。
……誰と話してるんだろう。
砕けた口調から、仕事の電話じゃないみたいだけど。