とある企業の恋愛事情 -ある社長令嬢と家庭教師の場合-
 翌日、俊介はいつも通り屋敷に訪れた本堂を出迎えた。

「ようこそいらっしゃいました本堂様。こちらへどうぞ」

 簡潔で事務的な挨拶を済ませ、聖の部屋へ案内する。本堂が家庭教師に採用されて以来、変わらないやりとりだ。

 俊介はそれ以上は喋りたくなかったし、本堂も話しかけてこないからそれで良しとしていた。

「お前、あいつの専属執事なんだってな?」

 だが、沈黙を破ったのは本堂の方だった。

 いきなりそんな質問をされて、しかもその聞き方がいやらしい言い方をされたものだから、俊介は思わず眉を顰めてしまった。

 が、自分の立場までは忘れていない。俊介は最大限丁寧な言い方で本堂の挑発を迎え撃った。

「はい、さようでございます」

「男と女の関係になったりしねえの?」

「なっ……!?」

 本堂の質問に俊介は赤面し言葉を失った。

 流石にこんな質問をされるとは思ってもみなかった。失礼極まりない。俊介は最大限、そう思わせないように努力してきたというのに────。

「何赤くなってんだよ」

「……っ聖様は雇い主だ。そんなことは間違ってもない」

 あまりにも無礼すぎて、つい敬語を使うことを忘れた。大体、確か本堂は自分と同じ歳だったはずだ。本堂がそんな態度なら、こちらも考えがある。

「ふーん? じゃあ俺が貰っても問題ねえな?」

 ────何を言っているんだこの男は。

 俊介はしばしの間本堂を睨んだまま立ち止まった。理解できないが、この男が自分を挑発しているということだけは分かった。

 本堂の綺麗なつり目がまるで睨むように、嘲笑うように視線を送る。

「お前はただの家庭教師だ。そんなことは旦那様がお許しになるわけがない。聖様もお前を選ぶことはない」

「お前もただの執事でそんなことは旦那様がお許しにならねえし聖も知らねえんだろ?」

 本堂が「聖」と呼び捨てにしたのを、俊介は聞き逃さなかった。親しいものだけに許されたその呼称を、この男がいとも簡単に口にしていることが腹立たしく思えた。

「………何が言いたい」

「俺が気付かねえとでも思ったのか?」

 本堂は暗に自分が「聖を狙っている」のだと言っているようだった。

 俊介は否定も肯定もせず、本堂を睨み続けた。心臓の音が妙に高鳴っていた。

「四月からはお互い『右腕』なんだ。仲良くやろうぜ」

「は……? どういう────」

「俊介! 本堂先生!」

 聞こうとしたところで、聖の呼ぶ声に止められる。

 廊下で長い立ち話をしていた自分達を探しにきたのだろう。話し込んでいる間に予定の時間はすっかり過ぎていた。

「どうしたの二人とも? 待っても来ないから探しにきちゃった」

「聖様……」

「悪いな。つい話し込んでて遅くなった」

「そう? 今日は色々報告があるし、早く始めましょう」

 聖が先頭切って歩き始めたので、ついて行かざるを得なかった。

 本堂が再びニヤっとした笑みを俊介に向けてきたので、俊介もそれに目線で応じた。

「じゃあ俊介、後でお茶をよろしくね」

「……ああ」

 聖と本堂が部屋の中に入っていくのを、これほどまでに胸が締め付けられる思いで見つめたことはない。

 本堂は何を企んでいるのだろう。まさか、このために家庭教師になったのだろうか。本気で聖を狙っているのだろうか。

 頭の中は先ほど言われた言葉で混乱していた。

 本堂は態度こそ不遜だが、どちらかといえば綺麗な容姿をした男だ。頭も賢い。女性目線でいうなら恐らくモテるタイプだろう。
 
 聖の男の好みなど分からないが、もし本堂を好きになったら────俊介は一瞬そんなことを考えたが、すぐにそんなことがあるはずないと頭を振った。

 万が一にもそれはない。そんなことは許されないことだ。自分と同じように────。

 二人の会話が聞こえるわけもないのにドアに貼りつく。俊介は聞き耳を立てながらそれから二時間もの間ずっとそうしていた。
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